熱虫症

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晃が後一歩で部屋から出る所だった。 後ろ向きに、後退させた左足が飲みかけのビールの缶を倒してしまった。 「あ、くそっ」 思わず口にした言葉のせいか、つい気を取られて出た動作のせいか、ヤツはその絶好のタイミングを見逃さなかった。 薄汚れた枕の傍らから、食べ残しのポテチの袋目掛けて走り出したのだ。 ヤツはずっとこの機を狙っていたのかもしれない。昆虫の触覚は人には無い高性能センサーになっている、目に見えない物でも分かる。それを使って、どこに逃げて、どう隠れれば良いのかと、睨めっこしている間、考えていたのかも知れない。 「うおーっ」 晃の雄叫びが響いた。 ヤツが動いたのを、目で捉えた瞬間だった。 その姿が、ポテチの袋の下に隠れる刹那、晃はその袋目掛けて平手打ちをぶちかました。 咄嗟の事だった。 怖いとか、考えるより先に、身体が動いた。 ポテチの残骸が宙に舞い、バシーッと大きな音を立てたが、下の住人に気兼ねするより、逃がしてなるものかと意気込んだ。 緊張が走る。 ヤツが、ポテチの下から再び逃げ出す様子は無い。 「やった、のか」 上手く潰れてくれていたら、被害は少ない。 細心の注意を払い、ポテチの周りの物を押し退ける。 雑誌に連なって、灰皿の中の吸い殻がこぼれたが、とにかく床が見えて、ポテチの袋の周りには逃げ場が無くなった。 それを見計らい、恐る恐る袋を持ち上げた。 「いないっ」 驚いた。そこにいるであろうはずの、死骸がない。 いつの間にか場所を変えた?もしかしたら最初からここに隠れてはいなかった? なにしろ逃げられたのであろうか? 晃が懐疑に思ったその時、袋を掴んだ左手の甲を何かが伝った感触があった。 「!」 カササッと、黒い虫が手の甲を這って行ったのだ。 言葉にならない悲鳴、と同時に理解した、あのゴキブリの生存証明。 「うわぁ~~っ」 そのおぞましさと恐怖に、掴んだポテチの袋ごと、ヤツを振り解いた。 驚いて、咄嗟に取った行動を、ヤツが狙ってやったかどうかは分からないが、80センチ程の距離を、翅を広げ移動し、今度はコンビニ袋の散乱する中に潜り込んだ。 その瞬間だった。 ドンッ ドンドンッ 晃が、コンビニ袋を足で踏んだ。 ドンッ、ドンッ 「くっそ、死ねっ死ねっ」 ゴキブリが逃げ込んだであろう、そのコンビニ袋を、一瞬の躊躇いも無く、追い掛けて踏んだ。
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