熱虫症

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晃は何が何でも逃がすことはしたくなかった。 何度も、何度も、下の住人の迷惑も苦情も省みず、雑誌もシャツもGパンも、会社のカバンも書類も、コンビニ袋の周囲にある物全て一緒に踏み潰した。 我を忘れて踏み続けた。 「はあ、はあ、はあ…」 荒く乱れた呼吸を整えながら、汗塗れになった顔を袖で拭い、晃はようやく動きを止めた。 そして、ゆっくりとキッチンに入り、すぐに部屋に戻って来た。 その手には殺虫剤を持って。 そして、噴射口に指をかけると、徐にコンビニ袋目掛けて殺虫剤を噴射した。 のの字を書くように、時間を掛けて、周囲にも噴霧した。 有毒なガスを吸わないように呼吸を止めていた事もあるが、その時の晃に表情は無く、ただ冷ややかな目で、殺虫剤を噴射し続けていた。 やがて、息苦しくなった晃は噴射を止め、エアコンのスイッチを入れた。 キッチンに避難しようとした途中、その音が耳に入った。 疑念に動きを止める。 カサ カサッカサ コンビニ袋が何かに触る音。 カサッ カササッ 途端にぶり返す、どす黒い感情。 それは怒り。 その負の感情に晃はとらわれた。 「まだ生きてやがったのかっ」 その音の出所を確認すると、晃はまた恐怖に肝を潰した。 あのゴキブリが、空のコンビニ袋の中に入って暴れていたのだ。 殺虫剤の毒ガスに苦しんでいるのか、時折ばたついて。その袋小路から逃げ場を探しているのだろうか。 咄嗟に晃は袋の口を押さえた。 もう逃げられない。多分放っておけば、ヤツは殺虫剤の成分で絶命するだろう。 安堵感が晃に芽生えた。 ヤツも観念したのか、動きを止めた。 晃はそっと、ヤツが入ったままの袋を持ち上げて、その口を結んだ。 とその時、ゴキブリが暴れ始めた。 袋の中で、翅を広げ、飛ぶ。 最後の足掻きかもしれないが、その衝撃は、弾むように袋の内側を突き続けた。 「うわわ…」 また、たまらぬ恐怖が晃を襲う。 「く、くそう…」
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