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 静かな午後だった。軍部から調査の命令を受けることもなければ、特高警察に咎められることもない。日本茶を飲みながら、犬の遠吠えを聞いていた。雲がぷかぷかと浮かんでいる。その静寂を破ってアメリカの爆撃機が空襲にくるとは、とても思えない日だった。第一、その日空襲はなかった。しかし午後を満喫していた私にとって、事務所に鳴り響く電話の轟音は、アメリカ軍機より嫌で、憂鬱なものだった。 「はい、もしもし」  受話器を取らないという選択肢はない。 『もしもし、丹沢君。今すぐ満州の日本軍秘密実験基地に行ってくれ』 「待って下さい。何があったんですか」 『素性の知れない奴から盗難予告とやらがきたそうだ。話によれば、明日の夜に基地のものをまるごと盗み出すというのだ。敵国のスパイに違いないから無視すればいいと言ったのだが、どうやら日本人の可能性もあるようでね。寺から仏像を盗み出したり、博物館から絵画や彫刻を盗み出したりしてる奴と同じ盗難予告がきてるかもしれないのだよ』 「なるほど。でも、敵の攪乱作戦の可能性も否定できないな。その場合は私の手に負えるものではないのですが。」 『とりあえず、住所を空港に送るから、そこで待ち合わせだ』 「大田か。向井さんも行くということですか」 『当たり前だ。大田以外、どこに空港があるんだ。厚木にでも行くのか?』 「そうじゃなくて、満州に」 『俺があんな寒いとこなんか行くもんか』 「分かりました。空港にて」 『空港にて』  そこで電話は切れた。  素性の知れない人物から盗難予告。その言葉を心の中で反芻する。恐らく日本人の犯罪組織か何かだろう。通話ではあんなことを言ってみたものの、こちらに話が回ってくるという時点で、敵国が関与しているという可能性は極めて低い。向こうだってプロだ。そのくらいの判断はつくだろう。  しかし、予告を出す人物というと、それは限られてくる。あの世を騒がせた怪人二十面相の名が真っ先に思い浮かんでくるが、しかし向井秘密警察統括副補佐官の話を聞いていると、どうも二十面相とは話が異なってくる。博物館で絵画や彫刻を盗みはしたが、寺から仏像を盗んだというのは聞いていない。 (すると、あの韮崎での事件か・・・。)
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