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父は彼女が産まれる前から母屋に住んでいる。
彼女が産まれて手狭になったので、敷地内に新しく家を建てた。今彼女の母と彼女母子が住んで居る家がそこだ。
父だけはすっと母屋から出ない。
朝晩の食事はこちらの家でする。風呂もこちらで入る。昼間は居るのだ。ただ、寝る時間になると母屋に独りで戻る。
新居に住む母もそれに文句は言わない。
孫を連れて出戻って来てもそれは変わらなかった。
何故なら母屋には前妻母子の位牌があるからだ。
前妻は二月の珍しく雪の少ない夜に亡くなったのだという。
昭和三十年代後半。東北の田舎町では練炭式の堀炬燵が日常的に使われていた。
一酸化炭素中毒だったそうだ。
いつもより遅く、寄合から帰った父が異変に気付いた時は手遅れだった。異変に気付いた隣近所が部屋に飛び込んだ時、全開の窓の前にへたり込んだ父の前で、前妻は吹き込んだ粉雪で薄い死化粧を施され、雪女みたいに別嬪だったと、法事の時に親戚が語っていたのを覚えている。
臨月だった。
子を産めずに死んだ母子は、腹から赤子を取出し、代わりにこけしを入れて葬る習わしがあった。
父は頑なにそれを拒んだ、住職と本家を巻き込んでの騒動になり、檀家総代が間に入り何とかおさめた。いや、実際はおさまっていなかったのだ。叔父が言うには父はこけしを入れるふりをして、前妻のお腹に小さな娘を戻してそのまま土をかけたそうだ。止められる道理もない。
十五年近くたって再婚した。
そして彼女が産まれる。
難産だった。流産の危機もあったという。
五年して妹が産まれた。
彼女自身は殆ど覚えていないが、何かあったのだろう。実際見えないネズミが暴れる事件はあったのだ。
どこからか帰ってきた父と母が珍しく母屋で大喧嘩を始めた。喧嘩というより、母が父を虐めていると思った。
そのうち、母屋の仏間から物凄い母の怒鳴り声と大きな物音がして、縁側から恐る恐る覗くと、仏壇をひっくり返して肩を震わす母の後ろ姿があった。
これも後に親戚筋から聞いた話だが、妹の出産にさいして、何かしらの予感めいた事があったのだろう、当時健在だった「拝み屋さん」に両親がお伺いをたてたところ、拝み屋さんに前妻が降りて母を指さし「お前らだけは幸せにさせない」と凄んだそうだ。
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