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知人に請われて、彼が参加している怪談愛好家の集まりで、自分が知っている怪談を披露することになった。丸ノ内に在るフレンチの店がその夜の会場で、店の個室には、常のメンバー七人と私を含めた三人のゲスト、合わせて十人の人間が集まった。フルコースの料理が出されて和やかな雰囲気で会食は進み、デザートと飲み物が運ばれる頃合いになると、今夜の幹事役が挨拶に立って、いよいよ怪談話をお願いしたいとゲストの私達へ所望をされた。最初に私から、北陸地方の旧い旅館で目撃される眠る男の幽霊について語った。この幽霊は、某旅館のある特定の部屋に時折現れるのだが、布団を敷いて眠っている男なのだ。襖を開けて、部屋の真ん中で布団を被る寝姿を見かけたら、何もしないで襖を閉めないといけない。そのまましばらく経ってからまた襖を開けると、もう男の姿は消えてしまっており、何の障りもない。だが、もし、好奇心に駆られて部屋の中へ入り、寝ている男の顔を覗き込もうとしたり、男を起こそうと声をかけたりすると、男の姿は布団もろとも、たちまち消えてしまう。消えるだけならよいが、覗き込んだり、声をかけた人間は、その後、三日以内に非業の死を遂げてしまうというのだ。「旅館の主の話では、分かっているだけで、突然に一家無理心中した者、強盗殺人の犠牲になった者、ひき逃げに遭って死亡した者がいるそうです。」そう語って私は話を終えた。「ちなみに、貴男は、その幽霊を見られたんですか?」幹事役が白い歯を光らせながら訊いた。「見ました。」私の返事に低いざわめきが起きた。「実は、私、『もし、もし』と、襖口からうっかり声をかけてしまったんです。」正直にそう告白すると、皆はしんとなった。「それはいつの事です?」心配そうに誰かが尋ねたので、「ちょうど三日前です。」と答えて私は微笑んだ。「どうやらセーフだったみたいですね。おかげで、皆さんにこの話を披露できている訳です。」次に、私の隣の三十代半ばと思しき女性の番になった。
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