「…むおーん…」 

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アイツはすぐに電柱の影に引っ込み、こちらが辿り着く時には、姿を消していました。 初めて異様な出来事に遭っている実感を持ちました。 次の日も見ました。職場に戻る時に、声が聞こえて、上を見上げたら、屋上の 手すりから、あの顔が覗いています。こんだけ、距離があるのに、声は聞こえる。 普通の人には到底出来ません。ようやく怖いと感じました。そして1週間が経った頃、 怖いという感じは、どうしようもない恐怖に変わりました。 アイツと俺の距離が縮んでいるんです。最初はわかりませんでした。しかし、あれの 着ているボロボロの衣服や土色に変色した肌といった全体像が認識できるようになった 時点で、もう手遅れでした。今はほぼ目の前に現れます。見かける回数も増えました。 同僚の机の本と本の間、馴染みの飲み屋の窓、自宅の棚と壁の隙間から、アイツの顔が 覗くんです。大口を開けたままの状態でこちらを見ている。いや、目元は見えないから、 見られていると言った方がいい。 ですが、どんなに姿を見るのが増えても、あの声… 「…むおーん…」 は1回のままです。大きさは変わらず、耳元に蚊の鳴くような、鬱陶しさと不気味さも 同じです。それが余計に怖いんです。 色々試しても、効果はない事をお伝えしました。先輩達とは連絡がとれません。恐らく あの声が気になって、正体を確かめ、俺と同じ者を見たのでしょう。毎日聞こえる1回の声、 頻繁に姿を見せる声の主を毎日見て、聞いて、その後がどうなったのか… 正直考えたくありません… だから“これ”を残しました。自分が体験している恐怖を感じてほしい。ただそれだけです。無責任なのは百も承知です。もう、どうでもいいんです。これを聞いている皆さん? それとも貴方?何でもいいや。今から、俺を毎日悩ませているあの声を録音します。 今日はまだ1回も聞こえてないんです。(ヤケクソ気味な笑い声が音声に混じる)  
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