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「あ、大矢さん!」
暗闇の先に見えた人影に向かって、彼が声を張り上げる。
そこに立っていたのは、彼が住むアパートの大家である大矢好美という、齢七十を超える老女であった。
大家の大矢さんなどと言えば冗談のような名前ではあるが、住むところに困っていた大石を快く迎えてくれた恩人だった。
しかも、家具一式も用意されていたのだから、大石にとっては渡りに船だったのだ。
最も、大石の住んでいた部屋はもともと大矢の息子夫婦が住んでいた部屋を改築したものであり、大矢にとっても一人で過ごす寂しい老後を彩ってくれる人間が欲しくて貸家を始めたようなものなのである。
そんな事情を知っている大石だけに、実家に帰るという決断を下すのは忍びなかったが、自分のこれからの人生のために、踏み出さなくてはならない一歩だと自分を戒めて覚悟を決めた。
しかし、こうして目の前で寂しそうにしている大矢の姿を見れば、後ろ髪を引かれるような気持ちになってしまうのも事実だった。
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