第3章 茨城空港、JEJ初飛行試験

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第3章 茨城空港、JEJ初飛行試験

その朝、真理の父、高橋浩二は、部下で安曇航空機社長の小山内茂雄と一緒に安曇航空機の茨城事業所に到着した。時間は午前七時を廻った所だった。 今日は、浩二と茂雄が十年をかけたプロジェクトの大きな節目となる初飛行の日だ。 戦後、長く航空機の開発を禁止されていた日本では、国産プロペラ機のYS11を除いて、現在まで商用旅客機を開発生産した経験を持っていなかった。 航空機産業には裾野を含め、幅広い技術やノウハウが必要であり、人材の育成にも莫大な時間が必要であった。ただモノ造りで生計を立てている日本が、この領域で世界に遅れている事は大きな弱みであり、日本のもの造り産業復活の為にも絶対に開発に成功させる必要があった。 この為、このプロジェクトは官民一体の国策計画として、百人乗り以下のリージョナルジェット機を四菱重工がYRJとして、また安曇重工が百五十人乗りのメイン市場のジェット機をJEJとして開発をすることになった。JEJはボーイングの737、エアバスのA320と直接競合する商品であり、他社に無い新しい技術の投入を国産のみで行うことに”(こだわ)った”。 JEJの機体は九八パーセントが複合材。エンジンは安曇重工内製で超高バイパス比の世界一の燃費を誇る。航続距離は東京ニューヨーク間の直行が可能な一万二千キロ。完全フライバイワイヤのソフトウェアも安曇電子工業が開発した。 また安曇重工は航空機事業部を分社して安曇航空機を設立し、引き続き開発は安曇重工主体で実施する体制ながら、新会社に航空機の企画・試験・生産・販売の機能を移管してプロジェクトを進めることになった。 これに合わせ、茨城空港横、航空自衛隊百里基地の南側に航空機の開発生産拠点となる茨城事業所を2年前に開設した。 開発が遅れているYRJに比べ、JEJの開発は順調に進み、本日、ほぼ予定通りの初飛行に漕ぎ着けたのだ。浩二と茂雄は本当に感無量だった。 今日は会長の安曇忠明も初飛行を見学するとの事で、その対応も含め滞りなく全ての準備は完了していた。
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