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彼は、いつも通り、あたしのいるカウンターの方へと向かってきた。
黒い髪を揺らしながら、雪のような白い手に、重みのある分厚い本を携えて。
「返却、で大丈夫だよね?」
彼は薄い唇を引き結んだままこくりと頷いて、無愛想にその本を突き出してきた。
その表情は長い前髪に隠されていて、いまいち読み取れない。片手で受け取ったあかがね色のハードカバーの本は想像していたよりも重くって、慌てて両手で持ち直した。
本の裏表紙をめくって、貸出日を確認する。
やっぱり、昨日付だ。
また、こんなに分厚い本をたった一日で読んじゃったんだ。
いつも思うことだけど、活字嫌いのあたしには到底、信じられない芸当だ。
月島くんは無言のままあたしが本の返却手続きを済ませるのを見届けると、すぐに踵を返す。
そのすらりとした足はこのまま図書室から出て行こうとしていた。
あれ?
一冊返したら一冊借りていく、それがいつもの彼のルール。
だから、今日も彼がお気に入りの一冊を見つけるまではここに残っていくものだとばかり思っていたけれど……。
「今日は、本借りていかないの?」
月島くんが、ゆっくりと振り返る。
彼の表情は、やっぱり長い前髪に隠されていてぜんぜん読み取れない。
薄いけれども肉感的な形の良い唇が、今日、初めてあたしの前で言葉を発する。
「ええ。まだ読み終わっていない本があるので」
久しぶりに聞いた彼の声は、グラスに注いだ水みたいに透明で心地良かった。
「そっか」
あたしの言葉に小さく頷くと、彼は図書室を出て行った。
図書室に響くのは、今年の春から三年生になった先輩方が受験という試練に備えてカリカリと鉛筆を走らせる音だけ。
彼の去っていた図書室は、やけにだだっ広く感じられた。
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