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「イヤだ、怖い! 飲みたくない! 生き返りたくねえよお」
男が崩れ落ちる。器から、酒がこぼれ地面に消える。眼窩からは、血の涙がこぼれ、地面に落ちて跡をつけた。
男が地に手をついても、まわりの死者たちは騒ぎ続ける。歌い、踊り、奏でる。男を気にする者は、モーセの他にいない。
男の頭に死者の音が響く。彼らの笑い声も歌も、陽気な楽しい拍子なのに、嫌な音に感じた。
「飲め、飲めや。飲むんじゃ」
空になった器に酒が注がれる。真っ白な濃い酒が、器に満ちてゆく。男は涙を流しながら、一滴一滴を見ることしかできなかった。
「イヤだ……、イヤだあ……」
喉の奥から、ひねり出すような声。そして器は満たされる。
「さあ、飲むんじゃ!」
村人たちが歓声を上げる。歌声や、笑い声は「飲め!」という言葉に変わっていた。彼らは新たな仲間を望んでいる。男が酒を口にして、生き返らぬことを信じている。男はそんな事もつゆ知らず、恐怖におびえるだけだ。
「飲め、飲め、飲め、飲め、飲め!」
モーセも、ソクラテスも、アレクサンドロスも、エラスムスまでもが、口々にそう叫ぶ。
「やめてくれ、やめて!」
男はパニックを起こしていた。
「もうどうとでもなってくれよ!」
乱暴に盃を掴み、顔にぶっかける。顔中についた液体は、沁み込んで男の身体に吸収された。しかし骨たちのコールは止まらない。むしろ激しさを増していく。同時に男の身体に激痛が走った。
「あああ、イタイ、イタイい!」
懐かしき痛み。快楽の果てにあった忘却の森より、死の刹那が甦る。酒の香りや色は見覚えがあった。
「コロシテクレ、イタイ、イタイ!」
男の目前に、真っ白な天使が舞い降りる。綿のような羽に、整った顔立ち。目を開く。その目は恐ろしい蛇の目だった。
天使の冷たい視線に、男は射抜かれた。そして「あっ……」と声を漏らし、果ててしまった。落ちた闇の中では、村人たちの笑い声が響いていた。
闇の中で唯一の光である天使の表情が、微笑みに変わる。その桃色の小さな唇が開く。
「あなたは、死ぬには愚かすぎる」
こうして、男の苦痛の人生は再開した。
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