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想像以上に入口の扉を勢いよく開けてしまったのかもしれない。ドアベルが激しく鳴っていたから。いつもは綺麗に響くベルの音が今日は嵐のようにけたたましい。
俯いていたけれど、濡れて束になった髪の隙間からコーヒーカップを磨いていた優月兄さんが顔を上げたのが見えた。ゴシック建築みたいな雰囲気のある店内には客はいないようだった。すごく寒い。
「おかえりノエル……」
いつものように声をかけてきた優月兄さんは続く言葉を止めて、少し驚いたように目を見開いた。そりゃそうだよね。空の晴れ間とは裏腹に、全身びしょ濡れなんだから。
普通だったらなんで傘を差さなかったのとか、どうしたのその格好とか訊ねてくるんだろうけど、優月兄さんはそんな野暮なことは聞かないで、いつもみたいに柔らかく笑って、寒いでしょうタオルを持ってくるねと言うだけだった。
それで……いつもだったらありがとうって素直に言えるのに、なんだか今はそんな気分じゃなくて、できれば誰とも口をききたくなかった。口をききたくないどころか誰にも会いたくない。誰にも見られたくない。誰にも存在していると思われたくなかった。
「いらない」
一言そう言って、真っ直ぐ階段のある方へ歩いていった。
「そう……温かいものでもいれようか?」
放っておいてほしい。
「いらない」
「でも風邪を引いてしまったら……」
「いらないって言ってんだろ!」
言ってしまった後ではっとした。
兄さんがとても驚いたような顔をする。でもその後すぐにまるでさっきの表情がなかったことのように思えるくらい一瞬で表情を変えて、微笑みながら分かった、って頷いたんだった。なんかそれにもいらいらしてしまった。馬鹿にされたような気持ちになってしまって、何も言わないで階段を上って自分の部屋に飛び込んだ。
鞄を床に放り投げて濡れている制服も気にしないで、木製のちょっと古めかしいベッドにダイブする。ベッドが軋んで、聞き慣れた音を立てた。
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