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「伊達くん……ごめん」
近づこうとしていた歩みを止めて、佳乃が呟く。
「やっぱり、私、帰るね。用事を思い出しちゃった」
こんな気持ちのままでデートなんてできるわけがない。佳乃が決断を告げると、伊達は目を丸くし、それから諦めたように息をついた。
「用事なら止めないけど……もしかして、剣淵くんのところに行くのかな?」
「そ、それは……」
伊達が歩み寄る。そして佳乃の腕をぐいと掴んだ。
「教えてくれないと帰せない。ねえ、用事って剣淵くんのこと?」
逃がさないとばかりに腕を掴まれ、さらに真剣なまなざしが佳乃に注がれている。あの穏やかな微笑みのプリンスが、真剣な顔をして迫っているのだ。佳乃にとってあこがれの、片思いの人である。こんなに距離が縮まり腕を掴まれてしまえば、あっという間に鼓動が急いていく。
「わ、私は……」
剣淵のところに行く、といえば真実である。だがそれは片思いの相手である伊達に誤解を植え付けることになってしまう。三笠佳乃は伊達よりも剣淵を選んだのだと思われても仕方ない。
だが剣淵のところに行かないと答えれば、それは嘘である。すなわち、呪いが発動するのだ。
嘘をつくか、真実を告げるか。至近距離に伊達が迫り追い詰められていく。長考する時間なんてない。
「剣淵のところに――っ!」
言いかけたところで影が覆いかぶさる。
焼けつくような熱が、唇に押しつけられた。柔らかく、蕩けてしまう危険なもの。
視界をひとりじめするこの男は伊達享で、あれほど求めていたキスが実現しているのに、このゼロ距離に気をとられて、キスの味なんてさっぱり伝わってこない。
ただ、甘い香りがするのだ。あれほど焦れていた伊達の香り。ノートを借りた時よりも濃く香って、伊達に包まれているようだ。
さらさらと音を立てて揺れる髪。伏せた瞼から覗く睫毛は長くて、左目の下のほくろもはっきりと見える。
佳乃の言葉を遮るようにかぶせた唇は、その後も離れることなく、角度を変えて佳乃の唇をついばんでいく。柔らかなものが触れ合うことで、この時間に酔ってしまいそうな熱を生む。
「……ごめん、キスしたくなった」
唇が離れた後、伊達はそう言った。顔にはほんのりと赤みがさし、恥ずかしそうに佳乃から目をそらしている。
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