1話 正直者のタヌキ、企む

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「ごめん。今日、用事があるんだ」 「珍しいね。何かあったの?」  そう言って、菜乃花は佳乃の机に視線を落とす。帰り支度を進めているはずの佳乃だったが、机の上には一冊のノートが置かれていた。  無記名の裏表紙だけで察したらしい菜乃花は、ぱっちりと大きな瞳を細めて微笑む。 「もしかして、これ……()()()のノートかしら?」  佳乃は少し恥じらいながらも頷いた。  このノートは佳乃のものではない。答え合わせをするように表紙を菜乃花に見せた。  紺色無地のノート表紙には『二年B組 伊達(だて) (とおる)』と書いてある。隣のクラスにいる男子生徒の名だったが、佳乃にとっては特別な意味を持つ名でもあった。 「ふふ。佳乃ちゃん憧れの王子様、伊達くんのノートね」 「お、王子様なんてそんな――」 「嘘はダメよ」  顔を真っ赤にしながらごまかそうとした佳乃だったが、すぐさま菜乃花に遮られた。  穏やかに微笑んでいた表情は一転し、美しい外見に隠していたしっかり者の性格が表情に浮かんでいる。 「佳乃ちゃん、嘘をついてはダメよ」 「あ、危なかった……ありがとう、菜乃花」  危うくごまかしで嘘をついてしまうところだった。菜乃花がいなければどうなっていたことか、と佳乃は安堵の息をつく。  三笠佳乃は、ただのタヌキ顔女子高校生ではない。彼女は呪いにかかっているのだ。  呪いを知るのは菜乃花を含めごくわずかな人間のみ。知らない生徒たちは不思議な行動をする佳乃をこう呼んだ。  『正直者のタヌキ』  佳乃は隠しごとのできない正直者である。嘘をつこうとすれば菜乃花に阻止され、小さな嘘でも許されない。 「わかっていると思うけれど嘘に気をつけてね。それで、どうやって王子様からノートを借りたの?」 「数学の宿題範囲がわからなくて先生に聞こうとしたの。そこで伊達くんに会って、範囲と答えも書いてあるからってノートを貸してくれたんだ」  その時の会話、伊達の表情まで。はっきりと覚えている。  困りながら職員室に入ろうとした時に、伊達に呼び止められたのだ。困っていた理由を話すと伊達は「僕のでよければ使って。答えも書いてあるから役に立つと思う」と、とろけてしまいそうな微笑みを浮かべて佳乃にノートを貸したのだ。
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