第一章 脱出 甲斐の国

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 松丸君がにらみ合う香坂と弦月の間に入った。止めに入る。 「若君、こやつ、若君に対してよこしまな」 「弦月、忍の分際で、武士にむかってなんたる口の聞き方だ」 「若君に命簿をささげぬ貴様に礼を尽くすいわれなどない」 「いい加減にしろ! おまえら!」 『え~と、こ~ゆ~とき、どうすればいいんだっけ? そうだ、父上が臣下が言うこと聞かないときには』  松丸君は、父、武田信玄在りし日のことを思い出していた。 『父上、もし家臣のものが喧嘩をしてどうしてもやめなかったらどうしたらよろしいのでしょう』 『はっはっは、まず両名を呼んで話を聞く』 『それでも喧嘩をやめなければ?』 『そういうときはな。二人共、夜伽に呼べば良い。喧嘩どころではなくなるからな』  武田信玄の人柄を伝える茶目っ気のある話だ。ちなみに織田信長は、中の悪い二人に油をかけて火のついたろうそくをたくさんたてたところで切り合いをさせて見物した。  配下の者たちが酒を楽しむ酒席でも酒が飲めず、ちまきをむしり喰う下戸の信長に酔っぱらいの冗談は通じない。 「香坂! 弦月! その方らに今宵、夜伽を命じる!」  しんしんと冷え込むあばら家に、松丸君の凛とした声が響いた。 「!」  弦月が赤面する。     
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