第一章 脱出 甲斐の国

3/47
60人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ
 精強武田軍は、七年前の長篠の戦いで織田徳川連合軍の野戦城の銃火を浴びて、大惨敗を受けた。武田の軍勢の三人に一人が死んだのだ。香坂の長兄も戦死した。  刀槍を弾く先祖伝来の重い鉄の兜が鉄砲で撃ち抜かれてしまう。戦国時代にゲームチェンジャーが起こったのだ。どうせ死ぬなら、ド派手に。それまでも奇抜な出で立ちをしたバサラな男たちはいた。ハリボテの奇矯な飾りつけをされた変わり兜が流行したのだ。  衣装は、派手に、ド派手に。鎧を身に着けない武者を素肌武者と呼ぶようになった。素肌とは言うがマッパではない。鎧を身に着けず、着飾り斬死にを選ぶ者たちも現れた。 『ひどい、髪だ。手入れというものを知らんのか』 『なんという醜い眉だ。あれで、ものになるのかのう』 『肌も悪(わろ)し』 『歯も唇もぜんぶいちからだな』 『手芝居、目芝居。色目使いも最初から仕込まねば』  雪の藪の中から男たちの声がした。 『それもこれもわれら化粧衆(けわいしゅう)の手にかかれば』 『ひとたびまなざしを傾ければ』 『城を傾け』 『ふたたびかえりみれば』 『国を傾け』 『強き男が統べる国であればあるほど』 『寝盗れるものもでかくなる』 『森蘭丸は織田信長から美濃の国三万五千石を寝盗ったぞ』 『われらの腕をもってすれば』  織田の進軍を拒む豪雪の甲斐路を踏み分ける香坂を、品定めする男たちがいた。     
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!