第一章 脱出 甲斐の国

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 雪の藪から言いたい放題だ。  香坂は、あばら家に足を踏み入れた。勾配の強い屋根で雪下ろしの手間はいらない。  茅葺きの屋根は、春から秋の雪のない季節には、日がな一日囲炉裏を炊き、煙で屋根をいぶさなければ、虫が屋根を食い荒らしてしまう。屋根はひどい荒れようだった。  すきまだらけの家をすっぽりと雪が覆っているので、なんとか寒さはしのげている。  もう何年も無人の家だ。長篠の戦いで負けた武田勝頼は、新府城建築に全てを賭けた。  新府城建築のために、重税を課した。払えなかった一家を見せしめに殺した。  新府城城下への武家の引っ越しを強行し、従わなかった一家を討ち果たした。  甲府は、空家だらけだった。百姓は逃げ、武家も去った。  信長は、新府城が完成するのを待つ気などさらさらなかった。  長篠の戦いで負けて七年。過酷な取り立てで甲斐の国は空家だらけになっていた。 「香坂! 勝頼兄上の仇をとるぞ!」  甲高い子供の声が響いた。声変わり前だ。武田信玄の末子、松丸君(まつまるぎみ)である。  武田信玄が五十を過ぎて作った晩年の子だ。香坂は舌打ちした。     
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