きみ、思ふ

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「立場逆転ですね」 「生徒なんて何年ぶりかしら」 黒板の前の席。つまりいつもの俺の席には先生が座っている。いつもとは違う景色に、新鮮な気持ちになった。 「どうかした?」 先生は不思議そうに微笑んだ。どうやら無意識のうちに先生を見つめていたらしい。 「それでは和泉先生、よろしくお願いします」 「…では僕の好きな詩を」 短くかけた白のチョークを手にとって短歌を書く。黒板とチョークが触れる音が静かな教室に響いた。最後の文字を書き終え、俺はなるべく平静を装って先生に向き直った。 「君待つと わが恋居れば 我が屋戸の すだれ動かし 秋風吹く」 「額田王ね」 「はい。この詩、僕には朱色に見えます。 好きな人を思い、一人で待っている。 切ない秋の情景が目を閉じると浮かんで来ます。」 これは今の俺にぴったりな詩。 有名なものだ。きっと先生は知っているだろう。だけど先生は相槌を打ちながら聞いてくれた。 「そんな風に詩を見れるのなら 和泉くんは、きっといい先生になるわ」 「ありがとうございます」 やっぱり先生が好きだ。 先生は黒板の文字を視線でなぞりながら、俺に言った。 「和泉くんは恋してるの?」 「この詩、好きなんでしょう?」 あざとく首を傾げる。 どこか媚びたように潤んだ瞳。 計算し尽くしたようだった。 「はい、先生が好きです」 言ってしまった。 教室に差し込んだ夕日は朱色に先生の頬を色づけた。 なんとなく分かってたくせに、白々しく驚いたフリをする。 そういう人だって分かってても、先生の全てが俺の目には魅力的に映った。 「卒業したらもう一度言いに来ます」 「それまで俺、諦めないんで」 もう緊張はしていない。先生は相変わらずこの状況を楽しんでいるように見える。 数秒後、先生は妖艶に微笑むと意味深に言った。 ‘待ってる’と。
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