すみません、私にはわかりません

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しかしもっと良い言葉がある。 それは「誰か」である。 「誰か、音楽かけて」 「誰か、今日の天気おしえて」 音声認識に失敗しても周りに誰かがいたら、その誰かが代わりにやってくれるはずだ。 ついでに思うのは、音声認識のインターフェイス起動コマンドとして命令の先頭にアレクサとかOK Googleとか入れなければいけないのは仕方がないことなのだろうかということだ。 「アレクサ、音楽かけて」 「すみません、私にはわかりません」 などと認識に失敗することがあるとどうしても次からはゆっくり、丁寧に話しかけてしまうことになる。本当はごく普通に喋って音楽をかけてもらいたいのだが、それができなくなるのだ。 だったら、認識コマンドの言葉を先頭ではなく語尾にしてしまってもかまわないだろうと思う。そもそも起動していれば常に音声認識をして、「アレクサ」という言葉があるかどうかをチェックしているのだ。だったら、接頭語に注意を払うコストと語尾に注意を払うコストもそれほど変わらない気もする。 つまり、どちらにせよ丁寧に話さざるをえないのであれば「くれませんか」を認識コマンドにしてしまうのだ。 「音楽をかけてくれませんか」 「今日の天気を教えてくれませんか」 これだったら丁寧にゆっくり話しかけても不自然さは少なくなる。 しかし、それでも認識してくれない可能性は残っているので「くれまちゅか」にすれば完璧だ。 つまり、赤ん坊に話しかけるように 「音楽をかけてくれまちゅか」 「すみません、私にはわかりません」 「しかたがないでちゅね、もう一度いいまちゅね、音楽をかけてくれまちゅか」 これだったら我慢できそうだ。
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