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「おいっ、てめえ、犬の分際で生意気だぞ!」 「ワン、ワンワン!(うるせえ、てめえも犬だろうが!)」  幕府運営の犬保護施設・犬小屋に犬として住み始めて、しばらくが経った。  大火の日に会った髭面の侍に引かれて犬小屋を訪れた久吉は、何故だか、誰から見ても犬のように見えていたらしい。特に怪しまれることもなく犬として受け入れられた。誰から見ても、というのは、無論、犬から見てもだ。  毎食炊いた飯や魚をたらふく食って、腹が膨れれば眠る。献立は毎食汁掛けご飯に魚が一菜。魚は概ね生だが、江戸前の魚は新鮮で旨い。  隣近所は犬、犬、犬、それも、いずれ劣らぬ猛犬であったが。 「けっ、こんの犬畜生! 人間様の長い御御足(おみあし)を喰らえ!」 「ギャンッ!? キャゥーンワン……(ぎゃあっ!? 参りましたワン……)」  犬の世界は力が全て。相手は牙も鋭い狂犬揃いだが、久吉にも犬よりは長い足と、柱に上れる二本の腕、奥の手の投擲による遠隔攻撃がある。久吉は人類の身体能力と技術を駆使し、犬の社会でのしあがって行った。 「うーん、何だか、娑婆で無為に過ごしてた頃より、毎日が充実している気がする」  十分な食事、安全な寝床、犬社会の上位を保つため、努力する毎日。  生きている実感。自然と温かくなる心身。 「これが命か」  それは自分の半生で、最も幸福な日々であるように思えた。     
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