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「ありがとう……」
千波の家に着くと、おばさんがそう言って、俺たちを出迎えてくれた。
俺たちに笑顔は見せるものの、その印象はとても疲れているように見えた。
「さぁ、上がって。
千波、こっちにいるから」
玄関を上がってすぐの部屋へ、招き入れられる。
そこは、広めの和室で、付き合っていた頃に、何度か泊めてもらったことのある部屋だった。
一番最後に靴を脱いだ俺に、「敬史(たかふみ)くん、よく来てくれたわね」と、すごく柔らかい表情でおばさんは声を掛けてくれて、その後ありがとうと言って、何度も頷いていた。
和室の入り口まで来ると、不意に足が止まった。
怖い…
心の中に湧き出た想いが、俺が中に入るのを拒んでいるようで、体が動かない。
千波の姿を見るのが怖かった。
そして、自分がどうなるか分からなくて…
そんな俺を、おばさんは心配そうに何も言わずに見つめていた。
それに気づいた高橋が、俺のところまで戻ってきて、そっと背中に手を置いた。
その手に支えられるように俺は、和室に足を踏み入れる。
畳の柔らかな感触を足の裏で感じながら、足を進める。
4歩進んだところで立ち止まり、恐る恐る視線を上げた。
そこには、布団の上に横たわった千波の姿があった。
綺麗な綺麗な顔をした、去年の秋と変わらない
少し痩せてはいるが、今にも目を開けて話し出しそうなその姿を見て、俺は茫然と立ち尽くした。
「ちな…良かったね。敬史くん来てくれたよ。やっと会えたね……」
おばさんは、千波の側に腰を下ろすと、話しかけるように話しだす。
「わがまま言って、ずっと敬史くんには知らせるなって止められてたのよ。
どうせなら、目が開けられるうちに、話が出来るうちに会えば良かったのに…、本当に強情なんだから……」
その声は涙声へと変わり、周囲の涙を誘う。
周囲の人々がすすり泣く中、おもむろにおばさんは俺の方を向き、頭を下げた。
「この子のわがままのせいで、あなたをたくさん傷つけてしまってごめんなさい」
額を畳にするほど頭を下げて、そう言って謝ると、おばさんはそのまま泣き崩れてしまった。
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