車内アナウンス

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車内アナウンス

翌朝、昨日と同じ格好で宿を出発した。人様のお宅へお邪魔する事になるのだから、Tシャツの替えくらいは持ってくるべきだったなとぼんやり考えながら京葉線に揺られていた。朝早く特急に乗った為車内は空いていて、即席で練ったにしては良いルートで来れている風に感じる。 心許ないリュックの中は、財布と自販機で買ったペットボトルと慌てて突っ込んだ通帳、「たろちゃんへ」と書かれた沢山の手紙が入っていた。一つ一つが「たろちゃんへ」と記された凝った封筒に包まれていて、中の便箋にはまるで書きたい事が止まらない!と今にも喋り出しそうな文字が並んでいた。それでも読み返して見ると、季節が巡ること、窓際の花が咲いた事、母親に言われた事。最近聞いた音楽の話、高校の友人が遊びにきた話が羅列されていて、最後はいつも「たろちゃんもいつか遊びに来てね。お仕事忙しいでしょうが、身体に気をつけて。」と書いてあった。 同い年であるはずのゆりの仕事の話は、太郎がゆりにどんな仕事をしているのか問いかけた手紙の返事くらいのものだった。最初に2、3通の事だ。彼女はイラストレーターとして細々と活動しているのだと書き、便箋の隅にも良く季節の花や美しい少女の絵が小さく座っていた。 その代わり、ゆりは太郎の仕事の話を聞きたがった。とはいえ手紙のやり取りである為しつこい、という程ではなかったのだが。 太郎はというと、絵は好きだったが絵で食っていける程ではない、という思いから形式的なwebデザインの仕事をこなしていた。ある程度のセンスと技術は要求されるものの、目新しいアイデアが必要とされるような仕事ではなかった。 ゆりはそんな太郎に「たろちゃんにも絵を描くのを続けて欲しい」と手紙によく書いていた。今になって思い返せば、手紙の中に「ひまわりの絵をかいて」だとか「そちらの家の窓から見える景色を描いて」だとか描いてあったな。そう太郎が思った頃には、この電車で目指す駅である蘇我駅に到着していた。聞き慣れない駅名だったが、荷物を急いでまとめてホームへ降り立つ。
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