魔法の夏

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魔法の夏

ゆりの家は駅からほど近いマンションだった。後からゆりの母親に聞いた話だが、ゆりがひまわり畑が見える家に住みたいと常々言っていたそうだった。太郎はそんなことは何も知らなかった。ゆりの事なんて、手紙に書かれたこと以外は知る術もなかったのだ。 「たろちゃん、ですよね。こんな遠くまでわざわざ有難う…、たろちゃんなんて私が呼ぶのはおかしいかしらね。あら、東京からお土産?気を遣わせちゃってごめんなさいね。」 インターホンを押しドアを開けると、ゆりの母親はそういうと少し困ったように笑った。あまり着飾らないその人は、どこかゆりの高校時代を思わせる人だった。 「ゆりちゃんこっちにいるから、どうぞ上がってください。何もない所だし、7月の初めとはいえこれだけの暑さだから大変だったでしょう。もう、ゆりの魔法なんだか呪いなんだか…。」 太郎を部屋に通すと、お茶を持ってくるからと言いゆりの母親はぱたぱたと廊下の奥に消えて行った。6月だというのにクーラーがごうごう音を立てていて、これは多分自分がくるから気を遣ってくれたんだろうな、と太郎は思った。 「ゆりちゃん、遅くなっちゃったけど来たよ。良いとこだねここ。」 部屋の奥には、控えめな仏壇が置かれていた。位牌は二つ置かれていて、一つはゆりの父親の物。もう一つはまだ真新しい、ゆりのものだった。ゆりは病気で亡くなっていた。最後の手紙以外の手紙には引越した事しか書かれていなかったが、どうやらそれは最後を過ごす家に移るためのものだったらしい。太郎がこれを知ったのも、今日ここで聞いてからだった。仏壇に飾られた写真はまるで、知らない人みたいだった。しかし、太郎が確かに電車の車内で見たゆりの姿だった。 麦茶を持って母親がぱたぱたと戻ってくる。太郎がお土産に持って来た羊羹を切ってくれたようだった。ふう、と汗を拭いて一息つくと彼女は喋り出した。
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