衣替え

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 なのに置き去りにしてきたような記憶が、亡霊となって春菜の夢に現れた。大学に進学して以来、帰省はしても高校の頃の思い出も旧友も、思い出しもしなかったのに。  会社員や学生の人通りが多い交差点を抜けると、大手出版社のビルが続く。歩きながら横目で眺めていると、ビルに写し出された自分と目が合った。  ストレートの黒髪に、一月前に買ったばかりのボーダーの薄いニット。タイツの上からショートパンツを履いている。大学内では無難で無個性なファッション。春菜が一番落ち着く服装だ。  十字路の交差点で信号待ちをしながら、春菜は自分の爪をまじまじと見た。この前バイト代で、初めてネイルサロンに行ってきた。プロに整えてもらった爪は、薄いピンクの下地に白い花模様が描かれ、輝いて見えた。  さっきは嫌な夢をみた。頭からすぐさま消し去りたいが、あれが誘発してまざまざと高校の頃が思い出された。記憶の中の自分は、なんて冴えない格好をしていただろうか。重たいスカートを履いて、自転車で通った3年間。地味で冴えなくて、人に軽んじられることもあった。もう、あんな野暮ったいセーラー服を着ている自分はいないと、春菜はぼんやりと考えた。  しかし上京して、東京の大学に通い、バイトをしながら、服を渋谷で買って着飾っても、春菜の心は完全に満たされることは無かった。  大学生に好まれるカジュアルブランドで服を買っても、もうワンランク上のブランド服が欲しくなる。服も、バッグも、ネイルも、世の中にはもっともっと良い物がある…と思えば、手に持っている物が途端に色あせて、大したことの無い物になってしまうのだ。  制服と一緒に春菜に付着していたあの頃に戻りたいとは決して思わないが、高校時代を思い出すと、春菜は一種の虚無感に襲われた。  高校時代、春菜は物語と物語が紡ぎ出す世界しか知らなかった。物語に登場する東京に憧れ、足を踏み入れた。現実の東京は、春菜が思い描いた甘い世界でも無く、ここで春菜は何一つ、欲しい物を手に入れることが出来なかった。いや、そもそも高校時代の自分は、東京で一体なにを渇望していたのか、思い出せなかった。  余計なことは夢に出てくると、春菜は頭を振った。気持ちを切り替えるように、背筋を伸ばして、靖国通りの交差点を渡った。  もうその頃には金木犀の匂いと一緒に蘇りかけた記憶も、春菜は忘れてしまっていた。
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