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と言い、僕の脇を通って玄関の壁のスイッチを押し、横の白いドアを開けた。
「狭いでしょ」
「うん」
「先にどうぞ」
「うん」
「真ん中の引き出しにタオル入ってる」
「うん」
「お前、いやなら無理しなくていいよ、わかってるだろうけど」
キシは真剣な声で言う。僕はふふ、と笑った。
「いやじゃない。したい」
「…」
言ってから、顔が赤くなるのがわかった。僕は洗面所に入り、後ろ手にドアを閉めた。
言わないことは嘘ではないが。
言っていたらどうなっていたか。
朝早くキシの胸に手を置いていた時、キシはいなくなるという予感が何の前触れもなく僕の中に生まれて、夢の余韻が少しずつ体から消えていっても、その予感のもたらす悲しさは消えなかった。
もうずっとあとになって、この夜のことを思い出すと、その悲しさだけが僕の中に残っていることになる。
少しずつ明るくなっていくカーテンの向こうの光を頼りに、見つめていたキシの寝顔を僕は忘れてしまうのだ。
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