富士登山への思い

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縄文時代~弥生時代 「神がお怒りになっておられる……」  人々は、(はる)か遠くに望む、荒れ狂う火山に恐れを抱いていた。  当時、『福慈神(ふじがみ)・ふじのかみ』と呼ばれ、遙拝祭祀(ようはいさいし)を行うことで、その怒りを静めようと、自然に立ち向かい、共存していた。  その祭儀場(さいぎじょう)遙拝祭祀場跡(ようはいさいしじょうあと)として、遠い未来で発掘されることとなる。  恐怖や畏怖(いふ)というものは、今も昔も変わらず、人々のなかに生まれ続けるもののようである。 飛鳥・奈良時代  この頃、副慈岳(ふじだけ)不二山(ふじやま))にはいろいろな、伝承が語り継がれていく。古代より口伝で伝わる神話では、コノハナサクヤヒメなる女神が昇ったとされる話が伝わる。  また、飛鳥時代の人物、役小角(えんのおづぬ)は、伊豆の島から夜の海の上を走り抜け、富士山に登り、朝には戻るという、人知を超える偉業(いぎょう)が広がる。  さらには聖徳太子が甲斐(かい)の黒馬に乗り、空を飛んでかけあがったという、話により、いくつかある中の、一つの(みね)が駒ヶ岳と呼ばれるようになったとまで話されるようになる。  人々が、ひときわ高い副慈岳を、意識していたことが、これらの事からも分かってくる。
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