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丈より先に起き出して、脱衣所の洗濯物を洗濯機に運ぶ。
シーツやタオル類で一回、他の衣類でもう一回かけないといけないから、時間勝負だ。
たこ焼きの残りの茹でだこは、予定どおり炊き込みご飯に。生姜をたっぷり入れて、醤油と酒と顆粒だしのあっさりめの味付にして、炊飯器にセットする。
できれば掃除機もかけたいけど、まだ丈を起こしたくないから、ひとまずカフェオレで一服。そのうちに丈が起き出して、剃刀を当てたばかりの彼の横顔をじっと見ていたら、キスをねだっていると思われてしまった。
日夏が掃除機をかけているうちに、一回目の洗濯が終わったらしい。丈がベランダの外に身を乗り出して、危なげなくシーツを干してくれる。
炊き上がったご飯をよそい、やはり昨日の残りの青ネギを散らす。ブロッコリーとミニトマトのコンソメ煮をスープ代わりに、出勤前の食事はいつも慌ただしい。
夕方の時報が聞こえる頃、アパートを出る。
崇にもらったグレーのパーカー、朝倉のクリスマスプレゼントの靴下、エディのお下がりの腕時計。最近また前髪が目にかかるようになってきたから切らないと、と思いながら、雪絵にもらったヘアピンで留める。
「行くぞ」
「あ、はい」
玄関で待つ丈に返事をして、洗面台の電気を消した。
並んで歩く路地裏の景色が、少しずつ変わり始めている。あの家の庭先に梅の花が咲いたり、遠くからでも目立つあの外灯の光がぼんやり霞んでいたり。
「日が長くなってきましたね」
「そうだな」
「きっと、あっという間に春ですね」
「おっさんになったら、もっとあっという間だぞ」
ぼやくように言う丈を見上げると、そのずっと向こうに、強い煌めきがある。
「あ……あれ」
「うん?」
「シリウス」
「……ああ」
日夏の指差した先を振り仰ぎ、丈は軽く頷いた。
夕方と夜の間の色、濁ったオレンジの空に、今にも消えそうなほど激しく輝く星が見える。彼に教わった、彼に会わなければ知らないままでいた、冬の星の名前だ。
「俺、丈さんに会えて、よかった」
気持ちが溢れて声に出るって、こういうことなんだと思う。
「俺もだよ」
なんでもないふうに言って、丈が頭を撫でてくれるから。日夏は目を瞑って涙を引っ込め、口の両端をきゅっと持ち上げた。
「うん」
<終わり>
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