なう

2/2
前へ
/2ページ
次へ
 今を後悔しないように生きる。すばらしいことだ。けれども少し考えてみると、ものによるが後悔しないことはありえないことだという結論になる。 たとえば、僕は大学受験で難関大学に落ちた。落ちたので受けたのは無駄だった、受けなくてもよかったんじゃないか、と考えた。後悔しているが、それほどではない。なぜなら選択をしたからだ。もし受けていなかったら受ければよかったと後悔していただろう。受かれば当然悔いなどない。後悔というのは何かに失敗したときに起こる。要は、どのような失敗をして、どのような後悔をするのか、そしてその後悔は自分にどれほど纏わりつくかをあらかじめ予測して行動すればよいのだ。  大学生の僕の周りでは未成年飲酒・未成年喫煙がさほど珍しくないものとなっている。それは僕が先に書いた考え方をしていないということに他ならない。僕は決して未成年飲酒・喫煙をしないと決めている。そもそも未成年飲酒禁止法というものは未成年が飲酒を禁じられているにもかかわらず、責任はお店や親などの監督者にあるとする。つまり未成年には、罪はあれど罰はないということだ。罰を受ける親からすればとんだとばっちりだろう。監督責任と言われても、監督されようとしないものにどう監督できようか。大学生という人生の華のような時を楽しみたいという気持ちは大いに結構。しかしそれによって自分を大切にしてくれる、または自分が大切にしたいと思っている人が何かしらの罰や悲しみにくれるならばするべきではないのではないか。  自分が今を楽しく生きたいのなら自分の身の回りに気を配ることを忘れてしまってはならない。僕は常にそう考えている。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加