六十年分の仕事

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「郡山光代さんでしたら、その愚痴、お聞かせ願えますか?」 「愚痴ぃ?」  思わず反応してしまった。急に何を言い出すんだこの男は。なんで愚痴…、 「あんた何言っ…」 『本当かい!?聞いてくれるかい!?』 「え!?」 「勿論、郡山さんの気が済むまで、」  驚く私の声をかき消すように薊森田は細やかな笑顔を浮かべそして、私の腕をぐいっと引っ張り前へ押し出した。 「この人が、聞いてくれますよ」 「え……は!?」 『丁度、鬱憤が溜まってたんだ。お嬢ちゃん、ちょいと聞いてくれるかい?』 「あ、…え、あ、はあ」  気圧されるように頷き、睨むように振り返る。  薊森田はちっとも詫びを入れる素振りもなく、顎先で前を向くよう促してきた。ほ、本当に何なんだこいつ! 『もう夏が始まったってのに、うちの人ったら炬燵や土鍋も出しっ放し!使わないヒーターの上にはやかんも置きっ放しだし、洗濯をようやく覚えたと思ったら洗濯用洗剤と台所洗剤を間違えて洗っちまうし…本当に抜けた人で』 「え、うちの人…?」 『ほら、あそこの家』  おばあさんは下に向かうと私に向かって手招きをした。  ぐらつく身体のバランスを取りながらなんとか生い茂った草むらの近くまで行くと、おばあさんは指を差す。  塀の上から覗くと、部屋の中にはおばあさんよりもやや年上のおじいさんが丁度テーブルにお皿を並べているところだった。 『シゲルさんって言うんだけど、てんで料理も出来ないのよ』  こっちこっち、と部屋の中へ入るよう促される。  いいのかなと思いつつ「お邪魔します…」とだけ小声で呟きながら皿の中を見ると、その上には御世辞でも美味しそうとは言えない魚料理が乗せられていた。 『魚を焼くことすら満足も出来ないのよ』  呆れたように言い、おばあさんは溜息を吐いた。私は反応に困り、ただただ「そうなんですね…」と頷いていた。
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