第1章

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 英会話を習おうと思った。  特に理由はない。  仕事で必要なわけでもなかったし、海外旅行に出かける予定もなかった。  しいて言えば、失業の身で有り余る時間を、少しでも有益と思えることで埋める必要があったくらいだ。それとて、所詮は暇つぶしの範疇だ。  英語力を高めたいわけではないので、レッスン料が安く、できるだけ自宅から近い場所がいい。ならばと、最寄り駅からも五分と離れていない教室を選んだ。 〈Kインターナショナル語学スクール/日本・アフリカ国際交流協会東京支部〉という名を雑居ビルのプレートの中に見つけ、エスカレーターのボタンを押す。  モーターの音が、地響きのように、あるいは、見たこともない獣の呻き声のように、遠くから聞こえてきて、少し不安な気持ちになる。  三階で降りる。  呼び出しのブザーを押す前に、口ひげをはやした男が出てきたのは、エレベーターのドアが開く音が聞こえたからなのか。  年齢は六十過ぎ、いや五十代、ひょっとしたら四十代かもしれない。  というのも、とても身長が低く、一メートル五十センチあるかどうかだし、髪には白いものが大分混じっているものの、顔そのものは童顔で、とても子どもっぽくも感じられるからだ。  ぼくが彼についてあれこれ考えているのと同じように、小男も怪訝な表情を浮かべ、値踏みするかのように、ぼくの全身を上から下までゆっくりと視線を動かしながら見て、何かを探ろうとしている。 「あの、英会話の体験レッスンを……」とぼくは口を開く。  すると、小男はぼくが言い終わるのを待ちきれず、 「ああ、メールで申し込まれた方ですね、どうぞ、どうぞ」  と急に愛想良くなり、奥の打ち合わせテーブルにぼくを案内する。  小男はテーブルに座るなり、ぼくに話し始める。 「ウチのやり方はね、単に語学力を養ってもらうだけじゃなくて、なんていうかな、そう、国際人としての素養も身につけてもらうのね。だから、日常的によく使うとされるフレーズを型通りに覚えるというより、講師とあるテーマについて話ながら、自然に語学も覚えてもらうというスタイルを取っているんです」  と小男は嬉しくてたまらないという感じで、一気にぼくに説明した。 「はあ、なるほど」とぼくは曖昧に頷く。 「例えばね……」と小男は壁に視線を向けながら言う。
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