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これからのこと、いつ帰ってくるのか、寂しさはないのか、応援しているだとか、言いたい事、聞きたいことはたくさんあったが、何故かどの言葉も相応しくないような気がして、黙ってしまった。 そんな暗闇に光を射してくれたはずの、 「なんか暗いな、そんなにさみしいのか?」と言う真人のいつもの冗談でさえ、 「そんなわけないじゃない」 と笑い飛ばすことが出来なかった。 それからはポツリポツリと、どちらからとも無く会話が始まった。 色んな思い出話をして笑い合った。 真人が小さい頃は泣き虫であったこと、泣き虫のくせに、強がりで意地っ張りだったこと。 公園で転んで膝を擦りむいた時、本当は泣くほど痛かったくせに、「全然痛くない」と笑ったこと。 その時、右の頬を頻りに触っていた事を思い出したけれど、それはあえて言わなかった。 真人が嘘を吐く時、隠し事をする時、右の頬を触る癖を見抜いたのは、真人の両親を除いては、私だけなのだということが、私の少しの自慢だったからだ。 この時も真人は、全然覚えてないと頬を触りながら否定していて、私は少し笑いそうになるのを必死に堪えていた。 そんな真人の全部が愛おしい。 陽が落ちて、サッカー部の「ありがとうございました」という声が大きくこだました。 卒業式の日まで練習するなんて大変だな、などとどうでもいいことを考えていると、 「そろそろ帰るか」 という、今一番聞きたくなかった言葉が不意に飛び込んできた。 「うん、私はもう少し居るよ」 じゃあ俺もって言って欲しかった。 私の最後のわがままは真人には届かなかった。 「そうか、じゃあ元気でな」 能天気な真人らしい最後だと思った。 私の気持ちは最後まで伝わらない。 「元気でね」 私はプールサイドに腰掛けたまま振り返って精一杯の笑顔を真人に向けた。 鞄を乱暴に掴んで去っていく真人を目だけで追いかける。 見えなくなる直前、こっちを振り向いて、何か言ったみたいだったが、サッカー部の大きな笑い声に掻き消され、私にその言葉は届かなかった。 聞き直す事もできたけれど、あえてそれはしなかった。 何故かはわからないけど、私はそのまま、笑顔で真人に手を振った。
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