盲人読書

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「その本、気に入ったのか?」  ぎょっとした。  だいぶ距離が近いと思った。  シゲルの耳元のすぐ傍であの男は喋りかけてくる。そわりと肌が震えてシゲルは距離を取ろうとした。しかし車椅子に腰掛けていると逃げ場が無い。 「あ、あの……誤解ならごめんなさい。少し距離が近くない?」  シゲルは持っていた単行本を口許に宛てて壁を作ろうと試みた。物理的に壁やバリアのように機能するとは思っていないが、心的な作用は働く気がする。  しかしすぐに車椅子の肘掛けがきしりと鳴いた。何か体重が預けられたような感触が伝わってきて、次の瞬間には唇に暖かいものが触れた。それが唇だと分かった時、シゲルの瞼が震えてうすらと眼を開けてしまった。  濁った視界だ。色が無くてぼやけていて真っ暗だ。  けれど不思議なことに、目の前の男の濡れ羽色の髪が揺れている気がした。 慌てて顔を背けて拒んだけれど、閉じた瞼の裏側にまでその姿は焼き付いて、縋るような表情でシゲルを見つめていた。 「なぁ、本が死ぬときはどんなときだと思う?」  男の唇がまだ近くにある。車椅子ごと向き直らされて腿に触れられる感触がやってくる。布が擦れる音から、この男が正面に膝をついて座っているのだと分かった。本で唇をガードしているシゲルの意思表示に構わず、次には腰に抱きつかれた。 「うわ、……!?」  シゲルは慌てて口に本を宛てて声を抑えた。  まだ店が開いているのかもしれない。店に迷惑は掛けられない。  けれど腰に抱きつかれて少し座る位置を引き出されて、車椅子に浅く腰を掛ける不安定な格好にまでされていた。車椅子がごとりと後退して壁につっかえて動かなくなる。本棚に囲まれて誰にも見つけられない。  この男はシゲルのシャツを捲り上げて直に肌に吸い付き始めた。いよいよ危ないと思う局面の筈なのに、シゲルは声を上げて助けを呼べなかった。
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