イノセント

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「それと、すみませんでした。しばらく来られなくて」 「何だ急に。しばらくって、どれくらいだ」 「1カ月弱くらいです。いつもは1週間に1回のペースだったんですけど」 「ふむ…」 画家は僕をまっすぐ見つめたまま少し黙った。時間の経過について考えているようだ。 無理もない。思念しか残っていない状態では、時間の感覚をつかむのは難しいことだろう。朝、鳥のさえずりを聞くわけでもない。太陽の光を浴びるわけでもない。夜の星を眺めるわけでもないのだから。こうして誰かに呼び出されるまで、彼は時間とは無縁なのだから。 生きている僕には考えられない。時間に追われてばかりの僕からしたら、そこは天国じゃないかと思える。だが本当に時間と無関係になってしまうというのは、どんな心地がするだろう。寂しいのだろうか。退屈だろうか。僕には想像もつかない。 僕らはそのくらい隔たっている。大げさに言うと、ここが生と死のはざま。 「坊主もなかなか忙しいんだな」 「えぇ、まあ。学校とか、バイトとか色々あって」 「女も、だろ」 「え」 「え、じゃないだろ。お前さんに女がいることくらいお見通しだぞ」 「女って言わないでくださいよ。なんか嫌です」 「実際そうなんだろう」 「僕、彼女のこと話したことありませんよね」 「ないが分かるさ。絵を描く男はモテるんだ。結構なことだ。大いに結構。坊主は若いんだから、恋愛のひとつやふたつ」 「それご自分のことですよね」 そう言われて画家はまんざらでもないような顔をする。 「まぁな。私は才能ある上に優しい男だった。生きてるうちは無敵だったぞ」 「僕にもその才能、備わってますかね」 「坊主はまだまだ子どもだからな。私の境地に来るのは十年早い。日々努力したまえ」 そんな会話の後、しばらく僕らは画家の作品について語り合った。というより、僕が画家の作品について一方的にしゃべっていた。画家は、僕が作品の見解や感想をまくしたてるように話すのを、時々頷きながら静かに聞いていた。
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