イノセント

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少なくとも僕は、彼の発表されている作品はすべて見た。実物を見るのが困難な作品は画集を見た。画家に関する著書もたくさん読んだ。同世代で僕ほど画家の作品や人となりに触れている人間はいないだろう。同世代どころか、今生きている人類の中で僕がもっとも彼を理解できる人間だと思っている。しかし、それでもまだ知らないこともたくさんある。 画家の人生は、人類最後の戦争と共にあったと言っていい。確か画家が生まれて間もなく戦争が始まり、亡くなる数年前に終戦となったはずだ。 「戦争って、やっぱり辛いものですか」 あまりに子どもっぽい聞き方だという自覚はあったが、言ってみた。 「辛いなんて言葉では言えないよなぁ」 画家は僕にというより、独り言のように呟いた。 「何が原因だったんですか」 「そんなのを一言で言えたら苦労しないだろう。それなら話し合いで解決できたはずだ。言葉ではうまく説明できないことがあるから、力に訴えたんだ」 「教えて下さい。戦争のこと。僕は生まれてから一度も戦争を見たことがないので知らないんです」 僕は追いすがるように画家に言い募る。 「それがいけないことだとは知ってます。でもどういけないのか掴めないんです。戦争は恐ろしいものだとは思うけど、とっくの昔に終わった出来事をどう恐れれば良いか分からないんです。教科書に載っている言葉も僕にとっては難しいものばかりだし。友達ともそんなこと話題にものぼらないから掘り下げようもないし」 「坊主、あのな…」 画家は困惑しているような表情で何か言いかけた。僕はさらに続ける。 「僕にとって戦争は本当にただ試験のために覚える事柄というだけなんです。遠すぎることなんです。知るにはあまりにも大きすぎるんです。そんな時間もないし。そんな時間があるなら僕は絵を描きたい。だって僕には絵しかないから」
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