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「萌の夕刻」2
萌は、自分はペットとして幸せだと思っている。ペットは、自分が仕える主人に順応するように設計されている。とは言え、やはり、相性というものがある。由香とは、不思議と最初からしっくりいっていた。
完璧な人間などいない。大なり小なり、誰しも欠点を持っている。由香だってそうだ。由香は、多少気が強い。と言うより、我が強いと言った方がいいか。自分の信念は貫く女性だ。それは、素晴らしい事なのだが、この先、もう少し、丸くなった方がいいと思う。そんな事を、あれこれ考えていたら、由香がシャワーを終えたようだ。
「ねぇ、萌。これTバックじゃない?」
「そうよ。貴方、今夜ピッチピッチの白のスリムパンツ穿くでしょ。普通のパンツだと、どうしてもラインが出るから、考えてそうしたのよ」
「そうだったんだ。そういう事なら、了解」
「ねぇ、萌。最近私、腰まわりに、肉ついたと思わない?」
「そうでもないと思うけど、夏は身体のラインが出るから、注意した方がいいわね。あと、服選びにも気をつけてね」
「萌は、私の専属スタイリストね。いつもありがとう」
「それが、私達レディースペットの仕事だもの。お礼なんかいらないわ」
「今夜は夕食、いらないわ。化粧したら、私行くから、先に休んでいてね」
「分かったわ。それじゃ、気をつけいってらっしゃい。楽しんでね」
由香はうなずいて、ドレッシングルームへ消えた。
まだ先の事だが、その事を考えると、萌は寂しい気持ちになる。由香が今の彼と、来年の春に結婚するのだ。この部屋を出て行く。ペットは、一緒に嫁ぎ先に行く事はできない。この5年間、萌は由香の為に尽くし、由香は萌を、ペットを超え、まるで人間のように接し、そして愛してくれた。萌は由香が、大好きだ。由香も萌が、きっと大好きに違いない。
時刻は、18時18分。夏の太陽はまだ沈まず、遠くに、東京スカイツリーが、くっきり見える。由香と一緒にいられる、残された日々を、精一杯有効に過ごしたい。
ペットに涙はないが、お別れのその時、我慢できずに、きっと泣いてしまうだろうと、萌は思っている。「パシャ」ドアが閉まる音がした。由香が出て行った。
2068年8月3日金曜日、萌の夕刻であった。
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