恩人の夏

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あの頃、日本は太平洋戦争のど真ん中をひた走っていた。私はまだ二十歳で、代々続く寺の跡を未婚のまま継いだばかりだった。 寺の跡取りといっても赤紙は容赦をしなかった。 無理もない。 たとえば学徒動員なんて、以前は大学生の出兵が二七歳まで免除されていたのに、ある時を境にそれが、文系の大学生と一部の理系学生にも適用されるようになってしまった。 今にして思えば理由は明白だ。より若い者まで動員しなければ戦さ場が成り立たないほど、既に(おびただ)しい数の戦死者がいて、日本が負け戦に突き進んでいたことは。 寺から無理やり引き離され所属した軍には、安堂という鬼教官がいた。鬼とつくからには怖いのだが、なぜだか私には優しかった。 教官はちょうど私の父と同じくらいの年齢で、また教官も、私と同じ歳の息子がいるのだと笑っていた。笑うと皮膚に深い皺が刻まれ、何とも愛嬌があった。 あまり高くない背に、肩と腕ばかりがっしりと筋肉を蓄え、腹だけは年相応に出っぱっていた。
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