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桜の花が散りつくし、若葉が目立ち始めた5月初旬。
ヒュルルルルルッ・・・
僕の心に風が吹いた。
「・・・まぁ、うちも古いからね。それにわしも年だし」
男の目の前に立っているのは、少し黒髪が残る白髪の老人・磯部勉は、ドアの中で驚いた顔をしている男・小坂寛貴に話し掛ける。
「はぁ・・・。それで、あのいつまでここに・・・」
小坂寛貴は、頭の中で貯金の残高が幾ら残っているか考えていた。
「遅くとも、今月末かなー。ほら、うち息子に孫が産まれてね・・・」小坂にとって、大家の家族自慢はどうでも良かったが、ここサンローズ磯部という今にも風が吹けば倒れそうなアパートに唯一残っている住人が、この小坂寛貴だった。
「はぁ・・・」
「それでね、小坂さんには申し訳ないと思ってるからさ。今月分の家賃はいいよ。その分、引っ越し費用とかに回して。ねっ!」にこやかに笑う磯部にそれでも顔色を沈ませている小坂。
(今月の家賃がいらないのはいいことだが・・・)
僕は、磯部さんを玄関先で見送ると、畳に寝転び天井を見る。
『小坂。お前は、もう来なくていい』
昨日、出社直後に課長から言い渡された辞職通告。
確かに、営業成績はここんとこ落ち悩み、他の社員に比べると0ポイントに等しい。その結果が、3ヶ月も続けばそうなるだろう。
突然すぎる解雇通告に驚きながらも、心配するような声を掛ける同僚達の口元は笑っていた。
『俺もこいつみたいにならんように、気をつけよう』
吐いてもいない言葉が、聞こえてきそうな空気にいたたまれなくなった僕は、自分の机からあまり多くない荷物を鞄に詰め込むと、一礼して会社を後にした。
それが、先週末のことだった。以来、職探しをしているものの、なかなか採用されず3日が立った頃に・・・
「え?取り壊し?」いま住んでるアパートの老朽化により、取り壊す通知が新聞受けに入っており、大家である磯部さんが、知らせにきた。
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