第一章(4/6) ロングヘア:阿賀孝典

10/10
52人が本棚に入れています
本棚に追加
/211ページ
  「阿賀さん、こっち帰って来てるんですか?」  ひなたちゃんは、単純に驚いた、という感じで話しかけてくる。 「ちょっと、夏の帰省で、一時的に。ちょうど明日に花火大会もあるしね。すぐ、東京には帰るけど」  嘘はついてない、多分。  咄嗟に答える言い訳がずいぶん上手くなったもんだと思う。 「すぐ、東京に帰るけど」と口にした時、足が少し震えていた。心がざわつく。  ひなたちゃんは眉間にしわを寄せて、訝しげにこっちを見ている。  こんな表情をする子だったっけ。  けど、そりゃそうだよな。  お姉ちゃんにひどいことした、れっきとした悪役だよな、おれは。 「お姉ちゃんに、会いましたか?」  剣呑(けんのん)な声で聞かれる。 「いや、会ってないよ。今帰ってきたところだしね」  へらへらと笑って答える。  くそ、何へらへらしてんだ、おれは。 「じゃあ、帰ってくること、お姉ちゃんに、言いましたか?」 「いや……言ってない」  おれは、笑うのを、やめた。  なんだか一瞬で、へらへらする気力も言い訳する根気も、なくなってしまった。  もう、疲れた。  ださくて反吐(へど)が出そうだ。自分に。  ひなたちゃんは、下唇を噛んで睨んでくる。 「お姉ちゃんがどんな気持ちで……」  そこまで言うと、ひなたちゃんは目を伏せ、 「でも、わかんないな……」  と呟いた。 「ん?」  と聞き返すと、それ以上を語らず、 「失礼します」  と言い放って、階段を駆け下りてどこかへ行ってしまった。  日和がどんな気持ちだったか、おれにはわからないけど。  おれがどんな気持ちだったか、日和にも、ひなたちゃんにもわからないだろう。 「色々あるんだよ、俺にも。」  去っていく背中を見送りながら小さく呟いた言葉は、昔一番カッコ悪いと思っていた、大人の言い訳のテンプレートだった。
/211ページ

最初のコメントを投稿しよう!