移ろう香り

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移ろう香り

 心許ない少女の手首のような青い茎をそっと撫でる。濃いトマトの香りが風に乗って届く。白い産毛が輝いている。  ひと月前は竹串ほどの太さしかなかった茎が私の中指と同じくらいの太さになっている。    ワンルームにしては広めのベランダが気に入って決めた部屋は今月で二年目に入った。  一年前、結婚し損ねて心機一転引っ越してきた。趣味の英会話スクールで知り合った人だった。彼はTOIECで七三〇点を取る為に通っていた。    初めて会話したのはサマーパーティーだった。仕事帰りに通っていたので彼のスーツ姿しか見たことがなかった。      その日、彼は黒の細身のパンツに麻のジャケットで現れた。受けているクラスが違う生徒同士になるようテーブルの席が決められていた。右隣が彼で私は左端の席だった。      向かいの席は大学生の男の子。彼の前は今年入社したばかりのOLの女の子だった。  来年就活が始まるという男の子は就活の極意を私や彼に熱心に質問し始めた。けれど私も彼も就活から何年も経っているので肝心なことをすっかり忘れていた。    ノスタルジックな気持ちばかり湧き上がり乾杯で頼んだカシスオレンジがいつもより苦く感じた。  彼も日々の忙しさのせいで就活の記憶なんてとっくに忘れてしまったと笑っていた。   年が近いせいかすぐに隣同士で話すようになった。外国人講師が陽気にテーブルを回って来て下手な日本語で冗談を言うものだからすっかり緊張も解けた。  アルコールが程よく回り、時間が許す人は二次会へと日本人講師が段取りを始めた。そのとき彼に「この後二人で飲み直そう」と誘われた。  後は別段ドラマチックなこともなく、付き合うことになった。それなりに楽しく付き合っていると思っていた。
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