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金属アレルギー時代について。まず、ほとんどの人間に症状が現れる、金属の毒害があった。
そして、その症状が記憶される。あるいは、記録される。重い症状も軽い症状も記録される。
金属の精錬技術が上がり、金属の毒害を取り除くことが出来るようになった。
含有率が低い鉱石も使うようになる。
そして、金属アレルギー症状が現れ始める。( 銅の関連ではないかもしれない。)
その症状は、ほとんどの人間に現れる金属の毒害の症状とは違っていた。
他の疾患の症状と似ていた。そこで、当時の医者は、他の疾患の治療法を施した。
それで、治らない。そのため、患者は、祈祷師やまじない師に相談した。
祈祷師やまじない師も、治すことは出来なかった。だが、何人も相談に来るので、患者の共通点に気が付いた。
それは、患者のほとんどが、派手なアクセサリーを身に着けていることだ。
そこで、派手なアクセサリーを外させた。すると症状が治まった。
祈祷師やまじない師の結論として、派手なアクセサリーが原因ということになった。
金属アレルギーは、症状が現れる人間のほうが少ない。10%以下かもしれない。でも、その10%以下の人間には、絶対に症状が現れる。
その原因が、派手なアクセサリーと決まってしまい、症状が現れない90%以上の人々にも、派手なアクセサリーを外させることになったが、
中には抵抗する人もいただろう。そのため、法律で決まり、セレモニー的に捨てさせることになった。
それが、戦争のような痕跡になったのだと思う。
第3巻には、石器回帰主義者ネットワークというものが出てくる。土器や金属器が主流になり、石器の職人の中には、仕事を失う人がいただろうし、
土器や金属器を作るには、大量の木材を燃やさなければならない。その大量の木材を燃やすことに反対の人もいただろう。
そのような人々が、石器時代の暮らしを続けるコミュニティーを作っていた。そこの人々も、派手なアクセサリーに反対したかもしれない。
( そのような人々が決定に関与したかはわからないが、もしかしたら祈祷師やまじない師と繋がりがあったかもしれない。)
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