1人が本棚に入れています
本棚に追加
/21ページ
1話 発生
目を開けると路地裏に立っていた。彼は何度か眼を瞬かせ、意識を統一する。レンガ積みの家屋が周囲の視界を塞ぎ、出口から差し込む逆光がその隙間を塗りつぶす。上は屋根とごちゃごちゃした機械類が重なり合って見とおせない。
「あれ……。裏道になんて入ってたっけ?」
彼はそう呟く。十代も前半の少年であろう。詰襟の学ランをきっちり着込んでいる姿も、親の手で無理にされた感がある。普段は明るく笑顔を作っているはずのとび色の眼は、水に落ちた羽虫の様に揺れていた。
起きたばかりで記憶ははっきりしないが、路地裏で足踏みする意味も無い。とりあえず大きな道に出ようと、小走りに駆けだす。
前に出した踵が、地を蹴ることなく止まる。レンガ壁の隙間から入る光がかげったためだ。
その人影は武装していた。使い込まれているのが一目で分かる、くすんだ無垢材の胸甲。顔を完全に覆う兜。関節の隅までくまなく覆われた鎧は、その重厚な存在感に比べて随分軽やかに動いていた。
右手には身長に不釣り合いなほどの長槍。3mはある。当然横にするのは不可能なため、切先が石畳にこする位の角度で保持されている。少年より多少高い程度の体格では扱いきれそうにないのだが、持ち主の歩行によどみはない。
それだけならば、いや、もうすでに少年は逃げ出そうかと身構えてはいたが、それだけならただの、怪しいだけの人間である。しかし少年の恐怖を決定的にしたのは、その物々しい見た目ではなく、そこからかすかに漏れ出てくる、奇妙な音であった。
かり、かり、と、なにかをひっかくような、きり、きり、と、なにかが張り詰めていくような。その物音は装甲に反響してこちらへと飛んでくる。
逃げようにも、背中を向ければどうなるか。二者択一を選ぶことが出来ずに、彼我の距離だけが縮まっていく。
あと一歩で槍先が突き刺さろうという間隔で、鎧から声がかかった。
「なぜこんなところにいる。危険だ。失せろ」
思ったより高い、少女の声。少年より一つ二つ年長だろうか。びくりと震え、少年は指示に従おうとする。
その時横目で見たものが、彼の運命を決定づけた。
騎士然とした少女の関節部。鎧の隙間を保護する、鎖帷子、に思えたもの。そこにさきほどから聞こえる異音の正体があった。
最初のコメントを投稿しよう!