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「俺たち、気付かれてねえよな」
漆黒の闇が、辺りを覆っている。
揺れる波間に、大きな船団がひしめいていた。甲板に帆柱がある大きな船を、大小の無数の船が取り囲んでいる。どこまで続いているのか、暗い中では分からない。
それぞれの船は静まり返っている。船体を洗う波の音だけが暗闇の中でさざめいていた。
弱い風が、かすかに見える赤い幟をはためかせている。平家の赤い幟だ。
「俺たち、気付かれてねえよな」
船団の様子をぼろ布に空いた穴からうかがいながら、僧形の男が再度、ささやいた。男は、頭を丸めて兜は被っていない。体には茶糸縅の鎧を身に着けている。
それぞれの船には甲板に松明が焚かれ、見張りの武者らしい影が見えるが、動き回っている様子はない。
「ええ」
傍らにうずくまり、同じくぼろ布の穴から外界を覗き見ている女が、小さな声で答えた。
「新月で真っ暗ですからね。こんな夜に敵が迫っているとは、夢思わないでしょう」
女の名は、ベンケイ。
男装してヨシツネが率いる源氏軍に加わり平家軍と戦っている。山伏の衣装に身を包み、普段は顔を頭巾で覆っているが、今小舟に同乗している僧形の男・カイソンとは長年の同志であるため、顔を隠していない。
二人の乗る小舟は、平家の大船団から半丁(約五十メートル)ほどの海上にある岩礁に接岸した。
「よおし。あとは手筈通りに」
カイソンの言葉に、ベンケイが頷いた。
「私たちの狙いはただ二つ」
ベンケイは右手の人差し指と中指を眼前に突き立てた。
「三種の神器のうち、クサナギの剣とヤサカニの勾玉。この二つ」
「ああ。ヤタの鏡はすでに俺たちの手中にあるからな。残り二つを平家から奪い、三つ揃えて源氏方へお移しする…これだけだ」
カイソンが頷くと、ベンケイはぼろ布を突き上げ、立ち上がった。被っていた頭襟(ときん)を取り、結袈裟(ゆいげさ)を外し、鈴懸(すずかけ)を脱ぐ。胸にさらしを巻き、白い下帯を付けただけの姿になった。
暗闇でよくは見えないが、カイソンは眼を背けた。
「では、参ります」
小さな水音を立て、ベンケイは海に飛び込んだ。
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