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 それはともかく、今の質問を、もっと若くていかにもチャラけた男にされたのなら、黎苗も無視しただろう。  しかし、男性が祖父によく似ていた所為か、単に言う人間がいなかったからか、無性にグチりたい気分を抑えられず、黎苗はグラスをコースターに下ろす。 「ええ、まあ……」  曖昧に呟いた続きは、「きっとまた落ちてます」という、ひどく自虐的なモノだ。 「おや。結果がくるまで分からないでしょうに」 「分かりますよ。今までだってそうだったし」  めぼしい求人が出たら、応募するようにはしているが、黎苗ももう若くはない。もっとも、九十過ぎの祖母に言わせれば、三十代半ばの黎苗は、まだ充分すぎるほど若いらしいが。  漫画家を養成する専門学校を卒業してからは、実家に居候して、本命である漫画家を目指しながら、主に事務職を中心に職場を転々としてきた。  好きで転職を繰り返したのではなく、最初にたまたま運良く引っかかった事務の仕事が、短期のそれだったのだ。  その後も、事務職を中心に応募していたら、通過するのはすべて短期契約職ばかりだった。  そうする過程で、興味を持てる資格をポツポツと取得していたが、せっかく資格を取ってもこのご時世だ。初心者はどこも門前払いだった。  とは言え、二度ほど長期の仕事に採用されたこともある。  一度目は、近所の郵便局。  だが、そこは二週間の採用期間を経て、本採用はなしだった。理由は、挨拶がきちんとできていないから、と。  言い掛かりだった。黎苗はきちんと挨拶をしていたのだから。しかも、かなり大きな声で、だ。  歌を習っていた関係上、黎苗の声はよく通る。普通の声量でも、言葉を発すれば聞こえない訳がない。  何がいけなかったのか、本当の理由を教えて欲しい。  そう、本採用なしを知らせてきた電話の相手に泣いて食い下がり、ユニフォームを返しに行った時にも再度訊ねたが、結局挨拶ができていない以外の理由は聞かされなかった。  悔しかった。  別段、その仕事に執着があった訳じゃない。ただ、身に覚えのない理由で解雇されるのは、冤罪で逮捕されるようなものだ。
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