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 もう二度と、あの郵便局には短期でも行くものか。  泣き寝入りするしかなかった黎苗は、そう誓った。  二度目は、ある古美術研究所だ。  専門で学んだデッサン技術――決して高くないそれを、面接の一環として請われるまま披露したら、随分褒められて、その場で採用が決定した。  喜んだのもつかの間、上司とのちょっとした行き違いから精神のバランスをあっさり崩した黎苗は、翌日から職場に近付くだけで涙が溢れて止まらなくなるようになってしまった。自分の意思とは関係なく、仕事場が近付くだけで泣けて仕方がない状態だ。  結局、正味一週間ほどで、逃げるようにその職場を辞すしかなかった。  それからは、実家に引きこもっていた。仕事に出るのが恐ろしく、そもそも幼い頃から人付き合いは得意なほうではなかった為、対人関係を築くのが煩わしくなっていた。  だが、黎苗が立ち直るのを辛抱強く待っていた両親には、先頃、最後通牒を突き付けられた。  両親の決めた結婚をするか、仕事を探すかの二者択一を迫られた黎苗は、仕事を探すほうを選ばざるを得なかった。  今更、赤の他人と共同生活なんて、真っ平だ。それも、男性と。  黎苗は、小学生の高学年から中学校の五年間、主に男子からいじめを受けていた影響で、男性不信なのだ。  勿論、例外もなくはない。亡き祖父は、その例外の一人だった。  だが、基本的には、先頃結婚した妹の連れ合いが、実家に泊まるのだって我慢できない。  それならまだ、昼間か下手をすると夜間まで――とにかく、時間限定での人付き合いのほうが万倍もマシだ。  けれども、世間の風は、弱者にはとことん冷たい。 『最近まで仕事をしていなかったのは、なぜ?』 『専門学校……漫画科って具体的に何をするの?』 『資格、沢山取ってるんだねぇ』 『短期の仕事が好きなの?』  面接官の、不躾で無神経な質問だけでもうんざりだ。  正直に答えたほうがいい、というのは、職安スタッフのアドバイスだったが、精神的に不安定だという理由を言うや、面接官の表情は露骨に曇る。
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