2018年8月9日(木曜日)

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昨日の夕食後から寝るまでの自分の頭の中での願望というか思考の内容。 現在の精神医学の治療に対しての疑問。 精神科にかかって、患者にされ、障害者のレッテルを貼られると、楽になる面と苦しい面がありますという説明をして、あなたは患者としての人生に同意して進みますか?というインフォームドコンセント的なのを導入してほしいというもの。 世の中にはサトラレやテレパシーといった言葉が存在する。架空か実在かは別として、実際に体験した人がいるからそういう言葉があるのだ。 それなのに、精神科ではそのようなことを医者に言うと、超能力とか超自然現象的なことはあくまで、実在しないというスタンスで「はい。あなた統合失調症ね。お薬出しときます」的な流れなのである。 バカ正直に自分の体験を話そうものなら、精神障害者の烙印を押される。それによって、楽になる側面もある。確かに薬を飲むと、テレパシー的なものは軽くなるし、障害者認定を受ければ、自治体から障害年金が支給される。この楽になる反面、社会からはキチガイ、イカれ野郎、楽して怠けている、という風に疎外され、悪意の矛先の的になる。 スケープゴートととも言おうか。 しかし、自分の脳が体験している現象を身内だけで処理して精神科にかからない人は自尊心があるからだろう。キチガイのレッテルを貼られるのは嫌だ、苦しくとも健常者としての人生を歩みたいという強い、闘争心を持ち合わせているひと。 多くの健常者は己の体験をひた隠しにして、そのくせ誹謗中傷したり、嫌がらせをしたりしてストレスを精神障害者に対しての、疎外や見下し、悪意などで解消している。 この事案というか、社会のシステムを説明したうえでの、患者として生きるか、健常者として根性とそして障害者に対する怒りや悪意を向け続けることで生きながらえるかの、自己決定を下せるようにはできないのか。 なんでも、この世は二元性である。 善か悪か。マトモか異常か。健常者か障害者か。 障害者=健常者の怒りやストレスのはけ口 というシステム。 一億総括社会、障害者の社会での受け入れ、社会進出を推し進めるというお上の、マニフェストは表向きには聞こえが、いいが蓋を開けると上記のような事態である。
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