一章

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 ハシェドをふりかえると、さびしげな表情をしていた。  そのおもてを下からすくいあげるように、のぞきこむ。 「一人は死んで、一人はおれを見すてて逃げた」  ハシェドが返答に窮する。  ワレスは続けて言う。 「まあ、両方、おれが悪かったんだけどな。おれの愛は重すぎるらしい。まともに受けとめようとすると、常人には、そんなふうにしか応えられない。おまえもそうなりたくなければ、今のうちに逃げておくべきだ」  ハシェドは憤然とした。 「バカにしないでください。そんな脅し、ききませんよ」 「おれがこんなふうに言ってるうちに、自由になっておくべきなんだがな。きっと、おまえは後悔する」 「後悔なんてしません」 「ジェイムズがなんで、おれから逃げだしたか、教えてやろうか? ジェイムズを許嫁(いいなづけ)にとられたのが悔しくて、泥酔させて、ベッドにひきずりこんだんだ。翌朝、ほうほうのていで帰っていったアイツは、そのまま別れも告げずに、ブラゴールへ旅立った。今ごろはまだ、大使の任期中だ」  一瞬、ハシェドはなんと言っていいのか困惑するように、さまざまな表情を見せた。口をパクパクさせて頭をかかえたあと、うなり声をあげて、笑いだす。 「そりゃ、隊長がいけません! だって、友人でしょ? そんなの反則だ」 「そう。だから、反省して砦に来た」 「屈折してるなぁ。でも、隊長らしい」 「おまえも笑っていられるのは今のうちだぞ。そのうち、どうなっても知らないからな」 「やめてくださいよ。からかうのは」  ハシェドは赤くなって視線をさまよわせていたが、急に大きな声をあげる。 「あ、ちょっと、あんた!」  かけだしていくので、ワレスも歩いて、そのあとを追う。  これから食堂へ行くようすのブラゴール人が二、三人、こっちへむかってくる。  ハシェドはそのブラゴール人たちにかけよっていく。が、近づくと、急にまた笑いだした。早口のブラゴール語をまくしたてる。 「違った。人違いだ。そりゃそうか。すまない。弟とまちがえた。こんなとこにいるわけないのに」  廊下のさきに大きな明かりとりの窓があり、逆光になっていて、ワレスからはブラゴール人たちの顔は見えない。ハシェドに答える声だけは聞こえた。 「いえ、かまいません。分隊長のマントをしているね。あんた」 「おれは、ハシェド。第四大隊、ワレス小隊のハシェドだ」 「おれは第三大隊のクオリル。よろしく」 「クオリルか。変わった名前だな」  ハシェドは彼らと別れて、ワレスのところへ帰ってきた。そのあとをゆっくり歩きだして、ブラゴール人が三人、ワレスの前を通っていった。 「おどろきました」と、ハシェドは言う。 「なにしろ、故郷にいるはずの弟によく似ていて」 「弟か」  それなら、今のブラゴール人、もっとよく見ておくべきだった。ハシェドのことなら、なんでも知りたい。 「ええ。上の弟です。父親に似てハンサムなんですよ。もちろん、隊長ほどじゃないですが」 「バカ。世辞はいい」  エミールにしたのと同様に、ハシェドの頭もコツンと指でたたく。ハシェドはてれたようだ。 「……隊長。文書室に行きますか?」 「ああ」  本丸に来たのだから、ついでだ。  ワレスたちの宿舎の内塔へは帰らず、そのまま、文書室へ反古紙をもらいに行くことにする。二階への階段をのぼりかけたところで、うしろから声がした。 「ワレスさん」  甘くて可愛い少年の声。  カナリーだ。
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