十二章

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十二章

 ユイラの春の森は美しい。  木々はあざやかに萌え、いちめんの新緑のなか、金色の木洩れ日が幾重にもふりそそぐ。  風に花と若葉の芳香。  鳥のさえずりと、葉ずれの音が心地よくとけあう。  できることなら、今すぐ若草の上を裸足でかけまわりたい。大地の上にころがりたい。  そういう放恣な気分を誘う。  何もかもがイヤで、美しくおだやかなユイラの国をすててきたワレスにも、この光景は鮮烈だった。目の前の緑に心を吸われる。 (おれの知らぬまに、いつのまに、こんなに美しくなったのだ。おれの母なる国。母なる大地)  あたたかな明るい日差しに満ちた森を馬でかけると、心が甘くなるのもゆるせてしまう。いつもなら自嘲するような爽やかな気分に、ワレスは酔った。  カンタサーラ城へむかう途上である。  ジアン中隊長が馬上から声をかけてくる。 「爽快でしょう? ワレス小隊長」 「ええ。おかしなことだ。砦に来るときにも、この森を通ったはずなのに、おれは今、初めてこの美しい景色を見た気がする。砦の灰色の壁にかこまれて、いささか閉塞(へいそく)していたのかな」  そうではないことを自分が一番よく知っていた。  ワレスは砦へ来るとき絶望していた。景色なんて見ていなかったのだ。  森が変わったのではない。  ワレスの心持ちが変わった。  変えたのは、ハシェド。  今このとき、ワレスが光と風のなかにあるこの瞬間に、ハシェドは暗く湿った地下牢にいる。  そう思うと、涙が出るほど胸が痛む。 (おまえと、この森をかけたかった)  馬をならべ、樹木の香りをかぎながら、野の花をふみしだき、二人きりで、どこまでも。  ワイルドベリーの昼食に、泉の水。  夜は満天の星のもと、抱きあって眠りたい。  母なる大地のゆりかごに揺られ……。 「恋人を思っているのですか?」  呼びかけられて、ワレスは物思いからさめた。  ジアン中隊長がイタズラっぽく、ワレスをながめている。  ワレスは照れたことをごまかすために、顔をそらした。 「まあ……そんなところです」 「では、ジャマはしないことにしよう。ご随意に」  くすくす笑って、ジアン中隊長は先頭へもどっていく。  かわりに、ワレスのあとについていたホルズとドータスが、ぎゃあぎゃあ言ってきた。 「隊長の恋人かぁ。どんな女なんだろうな」 「絶対、すげえ美人だよ。な、隊長?」  小隊長代理としてクルウを砦に残してきたので、ワレスのつれは、例のごとく、この二人だ。いつも思うが、彼らは戦士としてはひじょうに頼もしいが、ロマンチックのかけらもない。 「わかりきったことを聞くな」  ぞんざいに言ってやると、二人はニマニマ笑って、どうも変な妄想をしているようだ。 「おまえたちだって、国に恋人の一人や二人はいるんだろう?」と、ワレスが逆に聞くと、 「いねえよ。おれは頭も悪いし、金もなかったし、ツラも特別よかあねえ。花宿に馴染みの女くらいはいたけどよ」 「だったら、その女のことでも考えていろ」  しかし、ホルズたちはしつこい。 「なあなあ、隊長。ユイラの花宿の女は、やっぱ、キレイか? おれら、国から出たときは寄ってく金なんてなかったからよ」  そういえば、ホルズやドータスと女の話をしたことはなかった。彼らも一度は聞いてみたかったのかもしれない。  どうも彼らは前々から、ワレスに恋というほどではないものの、多少の性的魅力を感じているようなので、勘違いされてはたまらない。頑強に女に興味のないふりはできない。  昨夜は彼らのたくましい体を見て、おかしなことを考えてしまったワレスだが、本当にそうなってしまうのは、小隊長として、よろしくない。
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