八章

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 服の下の素肌をもとめて、ハシェドはワレスの帯をゆるめた。足に手をすべらせ、服のなかへその手を入れる。下着のヒモをといても、ワレスは抵抗しなかった。  とびきり美しい大理石の人形のように、目をとじて体をなげだしている。  くちづけをかさねるうちに、ワレスの呼吸も荒くなってくる。  ハシェドの愛撫にこたえて身をよじり、甘い声をもらす。  今なら、ゆるされるだろうか? あたなとつながっても。  そうだ。いいじゃないか。  どうせ、あなたは節操がないし、おれとこうしたって、大したことじゃないんだろ?  それなら会えなくなる前に、一度だけ……。  だって、おれはあなたを愛しているんだから。  愛して——  ——愛している。クリシュナ。  急にあの日の幻影が脳裏に浮かんだ。  たおれていた家具。  割れた花瓶。  そして……。 「わあッー!」  ふいにハシェドは正気づいて、はねおきた。 「おれは……」  おれは、あいつと……。 「あいつと、同じことを……」  涙があふれてくる。  ハシェドは頭をかかえて、しゃがみこんだ。  ワレスはまだベッドによこたわったまま、戸惑うようにハシェドを見ている。うるんだ瞳と上気した頰は、まるで初恋にふるえる少女のようだ。  だが、それは体だけの反応だ。心をともなってはいないのだと、ハシェドは知っている。 「ハシェド……?」  のろのろと起きあがり、ワレスはハシェドの背中に手をかけてくる。ハシェドはすくんで、その手をさけた。 「どうしたんだ? ハシェド」 「……おれは、あいつと同じことをした。あなたがほんとは、おれにこうされること、望んでないと知ってたのに」 「…………」  ワレスがためらいがちに何かを言いかける。  だが、その声が言葉になる前に、ハシェドは告げた。 「……見たんです。子どものころ。母が……乱暴されるところを」  あれほど軽蔑した。憎悪した。殺してやりたいと思った。 「相手は伯父でした。おれは母の悲鳴を聞いて、伯父になぐりかかりました。でも、ぜんぜん、かなわなくて……」  ——やめて! ハシェドを叩かないで!  ——むこうに行ってろ! ガキ!  ハシェドはけられて意識が遠くなった。  伯父は戸口に鍵をかけてしまい、ハシェドが気づいて立ちあがったときには、母はもう……。 「殺してやりたかったッ。あいつを……伯父を。ユイラ人を。みんな、みんな、死んでしまえばいい! ユイラ人なんか、みんな——」  号泣すると、あの日の余韻が耳にこだまする。  ——愛していたわ。ギュスタス。でも、それは過去のことなの……。  ハシェドが泣いていると、ワレスが声をかけてきた。 「ハシェド」  ワレスはもう、いつもの冷静な小隊長にもどっていた。ハシェドの前で身づくろいをしている。 「おれは必ず、おまえをとりもどす」  言いすてて、ワレスは去っていった。  ハシェドは一人になった牢のなかで、自分の流した涙のあとを見つめた。
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