九章

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 ギデオンはぶすりとして、 「昨日の今日で、たいした度胸だな。なんの用だ?」と、たずねる。 「昨日の続きをしにきたわけではありません。どうか、ご機嫌をなおしてください。私も昨日は言葉がすぎました。中隊長がご立腹なさるのも当然です。なにとぞ、ご容赦のほどを」 「えらく下手に出るな」 「下官に罪人がいたとなれば、私はもとより中隊長にとっても不名誉なこと。そこで、お教えいただきたいことが」 「言ってみろ」  むすっとはしていたが、聞く気にはなったらしい。 「ハシェドが怪しいと中隊長に密告した者についてです。どのような男でしたか?」 「知らん」 「中隊長……」  おとなげない——  ワレスが非難がましい目をしていたのだろう。  ギデオンは笑った。 「手紙が来た。扉の下にはさんであった。ブラゴールの文字が書かれていた。おれはそれを大隊長のところへ持っていき、大隊長は伯爵へ。そして伯爵からおれに、あの男を捕らえよと命令がくだった——そうだな? メイヒル」と、自身の右腕に同意を求める。  この二人は昨夜、愛しあったに違いない。メイヒルは熱っぽい寝不足の顔で、まだ身支度しているところだ。 「はい。そのとおりです。中隊長」  どうやら、嘘ではないらしい。  ギデオンは密告者の顔を見てはいない。 「参考になりました。ありがとうございます」と言ったあと、ワレスはギデオンのどす黒く鬱血した目のあたりを見て、笑いを抑えた。  これまでさんざん苦労させられたぶんのお返しには、ぜんぜん足りていないが、少しは気分が晴れた。 「それと、もう一つ。手かげんしてくださり、かさねがさね感謝いたします」 「きさまは遠慮なくゲンコツでなぐったな。おぼえていろよ」  言いながら、ギデオンは皮肉に笑う。 「今日ならイヤがらない顔をしている。残念だ」  心の内を見すかされて、ワレスはここでも赤面する思いだ。 (くそッ。めざといヤツめ)  部屋を出て、五階へおりる。 「クルウ。ブラゴールでは文字を書ける人間は少ないと言っていたな?」 「はい。商人ですら、正しい文字を書ける者は、ほとんどいません。かわりに庶民は絵文字を使うのです。絵文字と数字がわかれば、たいていのことは表せますから」 「なるほど」  なのに、ギデオンはブラゴール語の密書が来たと言った。 (ブラゴール語だからブラゴール人ということもないだろうが、ユイラ人のなかにブラゴール語を書ける者は少ない。二万の兵士のなかでも、ほんのひとにぎり。魔術師をのぞけば、十指に入るほどか。ずいぶん限定的だな。はたして、わざわざ個人が特定されやすいブラゴール語で書いて、自分が疑われることをするだろうか? むしろ、密告者はユイラ語が書けない……)  ワレスは考えこんだ。  すると、ふいに抱きすくめられて、クルウの唇がおりてきた。  クルウのキスは、ひじょうに巧みでエレガントだ。つい夢見心地になって、情熱的なくちづけをゆるしてしまった。 「バカ。やめろ」  我に返ったのは、かなりたってからだ。 「なんのつもりだ?」 「私も、あなたのお考えどおりだと思いますよ」  ワレスは心のなかで毒づいた。 (どいつもこいつも、おれの思考を読みやがって)  やはり、クルウは油断のならない男だ。味方にしておけば頼もしいが、敵にまわすと手強い。 「おまえは、おれの言ったことだけしていればいい」  クルウは形式だけ頭をさげた。でも、セリフはこうだ。 「くれぐれも中隊長相手にヤケになられませんように」 「アイツ相手に、なぜ、そうなる。どうかしてるぞ。おまえ」  クルウは笑って去っていった。 (おれがヤケを起こすだって? ハシェドの代わりになるヤツなんて誰もいないのに)  ハシェドのことを思うと胸が痛む。  ほんとは見ていた。中庭で、ハシェドが手紙をにぎりつぶしていたとき。  ハシェドの悲痛な表情におどろき、ワレスは目をそらした。  心を落ちつけてふりかえったときには、ハシェドはブラゴール人と人ごみにまぎれこむところだった。 (きっと、あのとき、ふきこまれたんだ)  ハシェドがその人をかばいたくなるような何かを。  おれは、おまえの望まないことをしようとしているんだろうか?  そう思うと、憂鬱(ゆううつ)になる。
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