十一章

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「ハシェドが、何か?」 「クオリルは自分がアッハド皇子とクリシュナ姫のあいだに生まれた子だと言う。だが、そうすると……どうも、おかしい」 「どこがおかしい? 皇都から逃げた皇子の息子の母親は、そんな名前だった」と言ってから、ワレスも思いおこす。 「待てよ。ならば、なぜ、その名を聞いて、ハシェドはあんなに顔色を変えたんだ? だから、おれはハシェドが問題の皇子の息子に違いないと考えたんだ」      「そう。そこだ。前に家族の話が出たときに、おれも聞いた。ハシェドのお袋は、クリシュナだって。そんときも、ごたいそうな名前をつけたもんだと思ったが……」 「どういうことだ?」  ワレスが見ると、クルウはうなずく。 「クリシュナというのは、マハメトの妻です。第一夫人。つまり、正妻ですね。ユイラ風に言うと、全能神ユイラの長子ユクレラの妻、ラ・フルールというところでしょう。一般家庭で娘に、その名をつけることはありません」 「女神の名か。神聖な名前ということだな?」 「さようです。クリシュナはマハメトの家系の巫女姫に、しばしば用いられる名です」 「伝道者の家系の血筋……」  われは神とともに在る者。  神の言霊—— 「やはり……そうか。ハシェドが、そうなんだな?」  ワレスのつぶやきを、クルウとナジェルは首をたてにふって肯定する。  ナジェルが言った。 「ハシェドの耳飾り。あれ、砂銀石だよな? おれもガキのころ、親の商売のせいで見たことがあるから、すぐわかった。それにウワサじゃ、神殿長の一番上の巫女姫は、三十年前、ただ一人、粛清をまぬがれて外国に逃げたそうだ。その姫の名が、クリシュナ。ハシェドは自分で気づいていないようだが、あいつ、とんでもない血筋だ。ことによると、皇族よりスゴイ」 「待ってくれ。ハシェドが伝道者の血筋だということは、まちがいないと思う。以前、ブラゴール語に神聖語はあるかと言っていたが、母の口から聞いたことがあったからだろう。だが、それなら、ハシェドはクオリルの兄ということだ。ハシェドも正真正銘、ブラゴール皇子だ」  言いながら、ワレスは自分で納得できない。 「ハシェドの母はクリシュナ。クオリルの父はアッハド皇子。これは、ゆるぎない事実。自分は皇子と巫女姫の子どもだというクオリルの言葉が事実なら、二人は同父母から生まれた、じつの兄弟ということになる。ハシェドは伯爵の前で、母は自分が腹にいるうちにアッハド皇子から離されたと言ったそうだが、それはクオリルをかばっての証言かもしれない。じっさいには、クオリルが生まれたあとに皇子のもとを離されたのかもしれない。しかし……」  できすぎだ——と、ワレスは思う。
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