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羽柴が私の前に現れたのは、転勤して一ヶ月後だった。一体どこでつきとめたのか、彼はアパートの前で私を待っていた。ダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、白い息を吐きながらドアにもたれていた。
「……羽柴」
私は掠れた声で彼の名前を呼んだ。私を見た羽柴は、ぱっ、と破顔した。伊坂さん、お久しぶりです。彼は悪びれなく挨拶した。
「ひどいじゃないですか。電話、全然出てくれないし」
彼は私を責めるような口調で言った。本当にひどいのはどちらなのだ。私はそう思った。彼は自分が何をしたかわかっていない。だが私も彼と同罪かもしれない。自分を守るために、多くの人を傷つけた。羽柴は、まだ私が彼を愛しているとわかっているのだ。ここ寒いなあ。中に入りましょう。羽柴はそう言って私の手を引いた。何時間待ったのだろう。羽柴の手はひどく冷たい。私は、彼の手を振り払った。
「帰れ」
「え?」
私は羽柴を見据え、君とはもう会わない、と告げた。羽柴は私が無理をしていると思ったのだろう。やけに優しい声を出す。
「意地を張らなくていいですよ。もう婚約は破棄したんだし……」
近づいてくる彼から後ずさる。私は一語ずつ、区切るように告げた。
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